シネマ歌舞伎「朧の森に棲む鬼」を見てきました
2024年末から2025年にかけて上演された歌舞伎NEXT「朧の森に棲む鬼」がシネマ歌舞伎となりました。
自分は元のお芝居については新橋演舞場で何度か拝見。博多座のは配信で見ました。
このお芝居は、松本幸四郎と尾上松也のダブルキャストでの上演でしたが、両方シネマ歌舞伎になりました。これがまず偉い。
2026/1/2〜22が幸四郎版の上映、1/23〜2/12が松也版の上映。普通の月イチ歌舞伎ですと1週間の上映ですので、なかなかの枠をとっての上映です。
上演時と同様、間に1回休憩が入ります。この幕間は映画館によって違うらしく、5分のところもあります。5分でなにをしろと…。(仕方ないのでポップコーンを消費していました)
今回のシネマ歌舞伎は、幸四郎版、松也版とも見ました。
ここでは、映画を見ての気づきなど書いていきます。ネタバレあります。
お話に関する感想などは以前に書いているため多くは書きません。(歌舞伎NEXTのタグを付けてますので、そちらをご覧ください。)
まずは音ですね。新橋は結構スピーカーの音が割れる劇場なので、割とギターなどがぎゃんぎゃんと聞こえてた印象なんですが、シネマはちょっとソフトな気がします。
ツケもちっちゃい。カタカタカタって聞こえる。
竹本と唄と台詞はちゃんとかみ合うようになってました。
詞が判別しづらかった「こはたがたれをこうるなるらん」も、多分これでアタリと思える程度に聞こえました。(松也版はちょっと音がぼやけていて屠ると聞こえてしまうところがありますが、幸四郎版がかなりはっきり「こうる」(恋うる、か、乞うる辺りだと思う)と言ってる)
あと、成人指定の生々しさで、のあたりでシキブが扇をぐさぐさ胸に突き立てる振りの所の音は、新橋は弾が当たるか刺される時のようなドキュドキュドキュって音だったのが、博多ではシャーって音になっていて、シネマもそっち系の音になってました。だめなんか、あれ。
幸四郎版の映像は効果と言う意味でだいぶいじっている印象を受けました。
刀などのスピードを変えたり揺らすエフェクトは私には違和感があります。これは阿弖流爲がシネマ歌舞伎になったときも真っ先に感じたことでした。
実際の舞台では刀に操られる幸四郎の技が上手だったので寧ろそれが見たかったのだけど。
エフェクトがあってもいいと思ったのは牢屋のだんまりで、だるさが減って良かった。だんまりには見えなくなったけど。
松也版は、松也の芝居からくるのか編集時に意識されているのかはわからないけど、全体的に馴染みのある歌舞伎っぽい「間」が心地よかった。最初に松也ライを見た時の菊五郎(七代目)っぽいという印象がよみがえりました。
刀の残像は見えるけれどエフェクトは少ない印象。そのぶんカメラは若干選択的な切り取りをしてたかもしれない。フレームの外にあれがあるけど映してないなと思うことが時折ありました。ライの顔はよく見える。松也ライは気持ちを顔に出す芝居をしているので、そういう見せ方になるんでしょうかね。最初の方など、わりと動揺が見えてます。ライ、あんまり好きじゃないですけど、感情がわかるとちょっとチャーミングに見える。見得で眼がぐっと寄るのも何箇所も映しています。
こときれる前のオオキミの表情なんかも、一瞬を大写しにしていてシキブを愛おしむ気持ちがよく見えます。
カメラで印象が変わるなあと思ったのはラジョウを訪れたツナが、ここに黒幕がいると睨んでいるとマダレに伝える所。
舞台(新橋)で正面から見た時はそれが誰なのかを掴んでいるようには見えなかった。
博多の千穐楽映像では、それはお前じゃないのか?という意図がはっきり見えました。
シネマは新橋の映像を使っているそうですが、カメラは上手から下手を見ていて、マダレとツナが前景。遠くに最下手のおばちゃんの店から見物しているライとキンタが見えたりします。(現場だとこうは見えない。)
レンズのマジックでツナがマダレにかなり接近して喧嘩を売ってるように見えて博多の芝居と同じ意図が伝わる感じがしました。
歌舞伎の後見などの技は両版ともわからないようにしています。こちらはあれも込みで見たいけどシネマ的にはメイキング的な枝葉なんでしょう。 宙乗りの器具はいつ留めるんだろう、とか、そういう意識は多分邪魔なんだなw
なので、亡霊たち(役者)による操りとライの人形振りはよくわかるが、後見によるぶっ返りの仕組みは見えない。。
舞台上の動きはオボロに操られているライを仄めかしていると思われます。操る亡霊の元からポンと花道へ飛び出すライ。そしてぶっ返って、見得。(ここの振りは幸四郎と松也で違っています。)
現地だとぶっ返りから六方の引っ込みをわくわくガン見してましたが、意味を考える暇はなく、なんの意味があってここでぶっ返るかわからなかったんですよ。悪人の本性が出るなら多少派手になりそうなものですが、くろがねの鎖帷子のような身体のラインが出る衣裳になっています。
その前の場面からの繋がりで察するに、王になる所まではオボロが言葉通りに引き上げてくれた。だが王になった後のことはオボロと約束していない。
この先は引き換えに命を取るフェーズに移る。
真っ赤な嘘でできた王の衣裳をぶっ返って解いた(失った)ライが、裸の姿を見顕(みあらわ)していきがって出ていく。いつまでもつかな?って所だろうか。
まあ、そう思って見るのは2回目以降でいいかもしれませんね。すると幸四郎ライが先にあって、からくりを知った後で松也の転落物語を見るっていう順番は乙なものかもしれない。
変わったかな?って所
シネマ化に当たって大幅なカットはないと思いますが、場面の転換の前後はそれなりに切っています。暗いまま待つ必要はないですからね。
幕間後にツナの夢の後、現実のライが出てくるまでの間は流石にちょっと短いかもしれん。現地で1分切ってるだろうとは思ってたけど、ここまでではないかも。
シキブとライが寝る表現は控えめ。
ツナの彫物インナーの袖口は、素肌に見えるように修正済み。こういうのは映像の利点ですね。
キューちゃんの種類、「物覚え鳥」という名前は新橋では言ってなかった気がしますが、博多の映像だろか。博多の配信でそんな名前だったんかい、って思ったので。
毎回異なるのでどれで固定するのか?と思ってたあれこれ
おクマちゃんの日替わり台詞。ご飯をくれる人は、幸四郎版「保健室」、松也版「冬眠」。思い出しチャレンジは両方「田吾作さん」だったかな。
ドラえもんとか残せないんだろうなw
サダミツ。松也サダミツは普段から激しい隈取でしたが、映像に残ったのは、それじゃなく日付特定可能なスペシャル版でした。勇気あるなあ。 幸四郎サダミツはあまり変えていた印象がないです。
キンタとライの最後のやり取りは、幸四郎は相当薄っぺらい下手な嘘で、松也は普通の(昔の)会話の声音に聞こえました。
ここは舞台では二人とも見るたびに変わっており、渾身のウソだったり、しらじらしかったり、本心から語りかけるように聞こえる時もあったり色々。
何かで幸四郎ライはキンタに対してはずっとウソをついてるという本人の言を読んだことがあるので、その最たる感じがシネマに残ったかも。
松也は初期は白々しかったのが、何度か見た時には温かみのある言い方にしていたので二人の解釈の違いがあるのかな。
宙乗り時。幸四郎はコンタクトなし、隈は割と控えめ。(博多の千穐楽映像では赤いコンタクトで隈もだいぶ派手でした)
松也は瞳が小さくなるコンタクトで、鬼っぽい感じです。新橋では瞳まで白いコンタクトを何回か見たのですが、それだと完全に死んでるので、やっぱどこ見てるかわかる方が良いですね。
もっとそのまま見たかったとこは、立ち回り。いちばん見たかったのは水の立ち回りですかね。
シネマはスローモーションになっていて、映画的にはこうなるわなと思いつつ、個人の技が見える元の映像も見たいなあって。
まつ虫くんがとんぼを返ったあと、足でばしゃーっとひと掻きして前のお客さんにしぶきを掛けてるのがチラッと見えていて、こういうのは現場の思い出のよすがとして残るのが嬉しいなと思いました。
改めて見て、朧は、新感線を基にした歌舞伎ではなく、歌舞伎の身体を通した新感線、な気がする。そこがちょっとくやしい。
例えば既存の脚本でなく最初から歌舞伎NEXTを作るなら匙加減はどうなるのか見てみたいですね。
「歌舞伎NEXTならこうだよね」って思えるだろうか。
ともあれ、映像として後世に残る「朧」が2つも増えたことに祝福を。












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