浜風の吹く場所で。(物語と人とお近くのヒーローに関する雑談)
EP2からこっちの話を中心に。わりと個人的な。普段であれば、こちらのブログには書かない範囲の話ですが、ヨコハマって本当にあるのかな、って話をこちらで書いてきたから、こちらで〆なければならないだろうと思ってここに書いておきます。
ぐちも書いてありますので、お嫌いな方はそっと閉じてくださいませ。
ここ最近のこと
まえにご当地ヒーローに風をもらった話というのを書いたことがあります。
沖縄のヒーローが私に風をくれた。
しかし、沖縄へは、おいそれとは行けない。
近くに何かないかな…というのが、近くのヒーローを探し当てるきっかけでした。
家の中からむやみに遠くにあこがれるんではなく、未曾有の災害に心を囚われたままでもなく、
外に出て、自分の足元の地面を見よう、頭の上の空を見ようって思わせてくれたのはスタージャンだった。
仕事柄、胸から上を動かしておけばたいていのことは足りる生活をしています。
でも、人間には脳だけじゃなく身体があるんだよ。世界はさわれるんだよって再発見できた。
なんにしても、スタージャンがいなければ、こんなに横浜の色々な所に行くこともなく、ただ住所が横浜だというだけの市民だったろうとはいえる。
だから彼らの現実の活動は私にはとても大切なものでした。
そのスタージャンが、ほほー。新作を作る。ふはははは。海外配信をもくろんでいる?
そんな話が、映画の公開(やっと)決定の報(北山田さくらまつりだったからねこれ)からあまり間をおかずに飛び込んでまいりました。
少なくとも一緒に劇場版を待ったおともだちは
はぁ? って思ったはずね。
足元のことをちゃんとしてからっしょ。順番があるでしょ。
まあいいです、JINはJINやさ。好きにしたらいいよ。
#なお、これ書いてる今日現在、JINは、鋭意撮影中。…鋭意?絶賛じゃないよね、まだ始まってないし。でも鋭意ってのも。なんかいい言葉ないのかな。おおはりきり撮影中。とか?ともかく直射日光降り注ぐなか撮影中みたいです。ゼロを年内にやると、舞台挨拶で言ってたかな。
そのクラウドファンディングが4月から5月の話で。
そのまま7月に来た感じ。
7月公開の映画(final)の宣伝もっとできたよなーって思えてならないです。
# 映画は7/21-8/3横浜のみ公開。1週目は朝と夜。2週目は朝の上映で、全回に関根さん(主演)が挨拶登壇。(ゲストは日替わり)
# あ、公開は、”まず横浜"だから。まず、ね。なお、8/6から新作撮入のスケジュール。
再放送だってやっただけで、予告CM入れたわけでもなく、
スタージャンが見聞するでもなく。(桜木町のうちわ配りでビラ配らせてもらったくらい)
EP:2のときと同じよね。実質宣伝してない。
映画公開中は、間近に迫った次作の撮影の準備もせねばならず、
お客に来てもらおうとする動きも泥縄。
お客がまとまって来るのは徳山さんや萩野さんの来た日だけで
お客2人に舞台挨拶2人っていう日もあったわ。(レイトのときだからそれはしょうがないけどね。)
最終日、平日の朝なのに半分くらい埋まったように見えた客席にすげえなって思った。
残った役者さんと関係者とそれに呼応する僅かの人間より、
新しい夢に期待したひとの方がずっと多いって結果になりました。
ゆめがひろがりんぐな人たちを見ながらあんな頃があったかもしれないって思ったよ。
映画はわざわざ来なきゃならないってこと、最近たびたび書いてます。作品への愛着でわざわざ来る人は多くはなかったと思う。
でもこれまで通り過ぎた人たちに、映画まできたよっていうだけでも知ってもらいたかったんだよな。
あ、あと、finalの舞台挨拶に登壇してくださった方達は本当によく来てくださったな。ありがたいなって、拝みたい気分です。
でね、、映画自体は悪くなかったの。
ただ、ネタバレを極力避けたいから色々言えないの。
Ep:2がえええって始まって、ええぇっってぶっちぎれて(終わったとは言いがたい)
映画もええぇってなるからw
よっく御覧ください。
わたくしは、今のところ、お客さんとしてはにほんいち、いやせかいいち(せかいでもヨコハマでしかやってないからな)の回数を見たはず。回数は言えない。アホすぎる。
EP2の季節
物語を見ればいつも、区切り区切りで「こんなところでおわりやがってばかやろー」って書いてきた。
とくにEP2は…学は出てても出てなくても同じだし、伏線回収に10回使って、映画で終わらせればいいでしょっていう感じがいやだ。EP2なりの終わりは本当に作れなかったかしら、って思う。
思えばEP2が刺していった棘は大きかったなあ。
元から違和感を持ってた人たちはいた(と、聞いている。前にも書いた)。地域の為の何かではなく、華やかに表に出たいのかと、菊名じゃないマリンタワーで何かやっただけで言ってた人もいたそうですわ。
(今思えばマリンタワーなんかぜんぜん地元だよね)
それでもEP1のころはまだ映像と、地域に向けたキャラの活動とは、まあまあ、危ういバランスを保っていたと思うわけ。
でもね、Barのイベントに行ったときに…、まあ、このイベントは、なぜこどもを無視してキャラでなくタレントで酒なのか?という感があって、私は、昼のスタージャンとセットじゃなきゃ行きたくないなと思ったくらいだったのだけど、そのときに、作品を作る動機のひとつとして、社長から、関根裕介の代表作を作りたかったという話が出たの。あっ、と思った。違和感の正体が見えた気がした。そうだ。この人たちは芸能を商売にしている人たちなんだ。ヒーローがこどもと遊ぶイベントじゃなく、タレントとお酒を飲むイベントを思いついちゃうのはそういうことなんだ。
もちろんヒーローを作った理由はそれだけじゃない。
ローカルヒーローっぽく見えてたのは、そう舵取りをするひとが居たからじゃなかったかと思う。
それから長い時間を経るうちに、現実のスタージャンは、その舵を失い、自身の推進力を失ってしまったようにみえた。たまたま呼んでくれる人だけを相手にボランティアをやってる人たち、みたいになっちゃってた。
頑張ってたよ。自分たちのできることを。
地道にやっていたんだけど、自分で進んでる感じはしなかったよね。
そういう頃のEP2撮影。EP1から2年くらいたったころか。
これ、手伝いましたが(雑用ね)、寒くて根を詰めてつらかったです。
しかし、この話はなんとしても終わらせよう。区切りをつけようという思いで団結してやっていたとある俳優さんから聞きました。
わたし自身も"最後のご奉公"という気分でやってました。
最後の方に撮っていたアクションシーンで、どなたか(一応書いておくと監督やいつものチームの人やボランティアの人ではない)が、もう最後だから壊れてもいいから思い切りやれ、というようなことを言うのを聞いた。
ちがうんだよ。これからも、実在するヒーローがこれをずっと使うの。大事なマスクなの。撮って終わりじゃないの。この人たちは毎日が本編なの。
こんな二面性がいつもあるのが、このヒーローだった。
そして制作発表。忘れもしない。秋葉原な。
あれはほんとうに私の中のEP2の位置づけを決定的にしました。
スタージャンたちは、ショーの前に自分たちを紹介するとき、ずーっと前からなんだけど作品自体やヒーローの活動ではなく、出てる人を宣伝するんです。よその人を。こんなすごい人が出てる、ってさ。
そうじゃないでしょ。あなたたち毎月自分でいろんな子たちに会っていろんなことを伝えてるでしょ。それがあなたたちの自慢すべき姿でしょ。
それがもうさらにエスカレートしてさ、このEP2の発表ときたら、スタージャン、置き去りじゃないですか。
新聞のテレビ欄の筆頭が誰だったか。
誰が主役なん?なんの番組なん?。
この温度差はなんなのかと思う。
でも、上映会とかがあって、あんなもんか、大人の事情か、と慣らされてしまいそうになったら、後から久々に会った人に、なんで関根さんが筆頭じゃないのか?と言われる。
密かに怒ってたらしい。
あ、そうだよね、変だよね、変だよ。私、怒ってよかったんだよ。
別のご当地ヒーローの関係者からは、秋葉原でやったことでライトなファンが離れてしまった、と言われた。
(半年後に、だよ。)
そうだ。外から見てもそう見えてたんだ。
別に秋葉原に恨みはないです。ただ、違和感のかたまりだった。アイドルが出る作品の発表なん?(そうだけど)
これまでの積み重ね、横浜でやってきたことはなかったみたい。今まで見てきた人へのフォローもないみたい。
今までだって出ていたさとうさんに、こんど18歳役をやることになってどうですか?みたいなニュアンスでものを聞いてて、まるで何も知らない人がインタビューしてるみたいだった。
あの司会の人、なにもしらないわけじゃないでしょうに。
EP2のことについては、随分たってから話してくれる人もいたし、蓋をしてた思いのある人はいたんだろうと思う。
ロイヤルの、回数を重ねたライブもよくわからなかったんよね。
最初こそ濱尾兄弟も歌うよなんて言ってたけど、完全に後回しになってて、にいさんに方向性がわからないと言ったら、「僕達が聞きたい」と言われた。ああ。はい。失礼しました。ごめんだけど、おまけですね。わかります。
まむねむも、防犯イベントのための急造ユニットかと思ったらぱーっと何本かライブ出て、あの歌はよかったけど、そのあとどうしたんだろう?
ライブをするのはミュージシャンらしい、この事務所らしいやりかただなと思う。
でもヒーローとぜんぜん関係ないじゃんね。もしかして送り手は関係あると思ってたん?迷走にしか見えなかったよ。考えたの誰なん。
他にもあったタレントさん主体のイベントは、こどもと遊んでくれたスタージャンというキャラクターの姿勢が好きだった人には全く興味がないもので、自分たちはターゲットではない、おいてきぼりだと思わせただろうし、
逆に、あのロイヤル三人組に歌わせて、スタージャンという作品自体に目を向けてくれた人はどのくらいいたのか。
ライブを応援してくれた人はいたよ。だけど、結局はまるで最初から無かったみたいにぷつっとなくなったね。
このユニットについては、守ってない約束をひとつ残したままになっています。お客はそれを忘れたわけじゃなくて、その証拠に誰かが映画館で監督に詰問してた。
私は、もういいよ、どうせないよって思ってたんだ。(エイプリルフールのネタにしたくらい)
でも2年間ぶつけるのを待ってた人がいたんだ。よく来てくれたなあ、この人。ふつう愛想尽かして終わりだよね。来て言わずにはいられなかったんだろうな。
あー、あとGOLDEN EGG という配信番組もありました。hearrも始めたね。これは続いてるね。
#GOLDEN EGG (GOLDEN☆SILVER) https://www.golden-egg.jp/archive/151
毎週顔を見たり、声を聞いたりすることになるわけだけど、
にいさんが、撮影で力を使い果たした後、ああ、学、いなくなったな…っていうのを実感するシーズンだった。
ここらへんは、リアルタイムで追ってないと分からんと思います。お話ではないリアルの話。
(あと、りこちゃんの絵と発想がとんでもないということがわかるので、もりざねファンはGOLDEN SILVER見るといいかもしれない)
このGOLDEN EGGの一環で作られた less than zero は、なんだったのかさっぱりぴーです。たぶん、本編に対するセルフパロディ同人誌みたいなやつだろうと思います。イオン本牧物語番外編ね。
あ、finalとかep2とかless than zeroに思い入れがあって、ロケ地を見るのに抵抗がない方は、イオン本牧行っとくといいですよ。
いつもスタージャン追っかけてる人たちは何度となく行ってるので、イオンだ…全部イオンだ……ってなってるから。
お前もこっち側にくるのだーーー。
そういうわけでEP:2シーズンのことを思い出せば憂鬱。
“ぼくのかんがえたすたあじゃん"はそうじゃなかったな、って、ちょっと抵抗したのが翌年の5周年のイベントです。
最上流からお手伝いしました。
スタージャンがいて、こどもがいて、おとながいて、横浜でやりたい。
これはこれでしんどかったけれども、区切りにはなったね。どのくらいの温度で臨んでくれているかとか、わかることもあった。
監督がこの日遠くで別のライブに参加していて来られなかったので、パンフにメッセージを寄せてくれていました。
スタージャンのプロジェクトを船になぞらえて。いやいやいや…その船乗ってない。乗ってないからね。
見てるだけ。(内容は書けない。乗ってる人は大変だな。うん。)
もうよし。あとはロスタイムだ。
そしてEp:2から2年。映画公開やクラウドファンディングの報を聞く。
遅い。本当に遅い。もう遅い。
これまで長い時間をかけて育ててきた芽はどのくらい残っているのかしら。
出てくれてる役者さんでも言及してくれなかった人もいたよ(知ってか知らでか。)
せめて去年公開してくれてたらなあ。
私らは知ってるよ。映画はもう撮ってある。公開しない選択肢はない。いつか絶対やる。
ただし時期については全くあてにならない、ってな。
でも普通の人はやると言った季節からふた冬以上も待たされれば、あれは出まかせだったんだな、って思うよね。
裏切られたなと思うし、冷めてしまうよね。
いつも途中の経過がぜんぜんわからないのがこのプロジェクトだからさ。
クラウドファンディングにお金を出してくれたのはおそらく半分以上徳山さんへの支援だと思う。
そのホットなお金に混じって、
冷凍庫から出したばかりのひんやりしたお金も、多分混ざっている。
だって第一声みんな「はぁ?」だったと思うぜ。
推しが呟くまで協力しない!って言ってた人もいた。
また同じことを繰り返すのだろう、信じられるのか?という人もいた。
○○さんが出るか出ないかわからないけれど、出るといいな…とか。
(無邪気に△△さん出ますよね、と書かれてるのを見て、すいませんごめんなさい出ないと思います(諸事情)って思うことがある。なんというか、寅さんのマドンナみたいなものと思った方がいい場合があるんじゃないかと思う。
今回はすごいマドンナが出るな。ファンも多いな。みたいな。)
中には、もやもやするけどセキネくんの言うことを信じたい、という人もいたな。
(セキネくんがどんなに誠実でも、船を動かす立場ではないのだぜ。)
みんな最後には協力してくれてた。
可笑しいね。
私は、色々と信じてない。
でも現場の状況を少しでも楽にしてあげたい。ひととか、ものとか。
傷んだものも直してあげたい。
使いみちが選べるなら、ね。
でもそれは、船の上で決める話。
物資と水を積み込んだ船がちゃんと戻ってくるのか、見てる。浜風の吹く場所で。
(たまに船出をして戻ってこないのも、あるからねえ)
ガラスのココロイヤースーツ
あの頃…2年前。結論を出そうとしてまだだ、映画が終わるまでは、と思い書かなかったことがあるんだ。
ご当地ヒーローとしての仮面というのは、ガラスの仮面のようなものだと思う。
ガラスの仮面、読んだことがありますかね。役者が芝居の中でその役になるのは仮面を被るようなもの。その仮面がはずれるとき、芝居は壊れてしまう。そんな脆いガラスの仮面。
スタージャンは横浜に住んで近所でちょっといいことをしてるおにいちゃんです。
でも別に横浜じゃなくてもいいみたいです。
初めからそうだったとは思わないんですよ。ご当地ヒーローであろうとした形跡はある。じゃなかったら濱尾学なんて名前つけないでしょうよ。横浜をくまなく見聞するなんて言わないと思う。
でもさ、したかったことが別にあったんじゃないの?
昨今、ローカル、もしくはインディーズの実在ヒーローやゆるキャラをめぐる状況は変わってきていて、以前のような地域活性化やこどもたちへの貢献を大義名分とすることは必ずしも必須のフォーマットではなくなったと思う。
パフォーマンス活動の1形式としてヒーローショーの形をとっている人がいたり、
なりたいキャラクターの種類がヒーローだというだけの人がいたり。
しかし、スタージャンはそれ以前の、既存のフォーマットにとらわれて生まれてしまっている。
だいたい、人々があんな格好のヨコハマなんて名前の付いたものに何を期待するかってことがあるわけよ。
だけどさ、送り手は別に横浜を見聞したいわけじゃなかったみたいなのよ。それより、あんなことやこんなことがやりたかったみたいなのよ。
期待と、行動が食い違う。
「ヨコハマを、守るんじゃなかったのか」(※これは古いショーにあるにいさんのセリフ)
こどもたちが、会いに行けるヒーローじゃなかったのか。
我々が見ていた仮面は本当にあったのかしら。
「ここはヨコハマよ」
映画を観た人はこの後に続くセリフがわかると思います。
「○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ケド」
それでも一つの姿、一つの名前でやろうと、一生懸命やってきたわけだよね。
相反するプリズムスターを分裂させないように、一身にひきつけて、両方の期待に応えようとしてきたわけだよね。
その結果、あんな格好の、ヨコハマなんて名前のついたものは、お話がどうあろうと、どんな新しいマドンナを迎えようと関係なく、その役目を果たさねばならない。ずっとそうしてきたから、すぐやめるわけにもいかんでしょう。
多分残らねばならないのは、横浜をくまなく見聞するとか、テレビに出てるヒーローに会えるとか、ご当地ヒーローの寄り合いに集まるとか、そんなかぶれなくなった仮面とは関係ないところで、真に存在するものとして、必要とされたヒーローである。
何を言ってるのかですって?
要するにさぁ、JINが防犯教室やったりはしないでしょうよ。(やったりしてな。それはそれで笑える。)
必要とされているのは求められて現場でそういうことをやってきたなにものか、だ。
スタージャンは(もはや)ご当地ヒーローではないのではないか、と、2年前に私は書こうとしたんだ。
しかり。ともいえる。
たまたまここだっただけで、ここのためにどうこうするような在り方ではないんだろうなと思う。
けれども、お近くのヒーロー、スタージャンは存在してしまってる。
映像を作ったり、ほかの事業活動があったりの二の次になりながら(失敬)でしょうが、しばらくはいなきゃいけないんでしょう。あるがままのスタージャンってのが。
だれが、海の向こうで、どんな素晴らしい絵のびっくりストーリーを見ていようと、実物は横浜にいないといけんわけさ。
だって…梨を配る場所は新横浜だし、うちわは桜木町だし、道の日はセンター南なんだもの…。
そういうのをご当地ヒーローっていうなら、それもしかりです。
テレビの中に、ふたたび横浜はあらわれるでしょう。けど、あっちとこっちが地続きなのか、遠い世界の中のようにしかならないか、それは、あけてのお楽しみですね。
お近くのこどもたちが小学生になったり、中学生になったり、受験だと言って来るのをやめていた子がスタッフになって戻ってきたり。こども達の時が流れるのは早いよね。
もしかして、小さい頃になじんだ地元の駄菓子屋みたいなヒーローを海外で目にするかもしれない。おどろくだろうね。
「このひとはボクのホームタウンにいたんだよ。ボクは会ったことがあるんだよ。」
そんなゆめも面白いかもしれないね。
2018年 はちがつ ヨコハマ くもり JIN 撮影の報を横目で読みながら がんばれ(ちいさめに)