中の人などいない仮面と紙吹雪 (オフィス3◯◯特別公演 少女仮面 2025.6)

2025年6月19日演劇

オフィス3◯◯特別公演 少女仮面 (ザ・スズナリ 2025.6)

唐十郎追悼公演と銘打ち、渡辺えり主演・演出の少女仮面。

私の唐十郎歴は無に等しい
30年くらい前…もっと前かな
「新宿泥棒日記」をビデオで見た
なんの話だか全然わからなかったがまだ歌は歌える。
なんで見たかというと、黄金の日日の再放送に出てた唐十郎の怪しい商人にどハマりしたためだ。
いま思い出した。

正直テントはちょっとこわいなと思っており、先日の"おちょこ"も行けば良かったかなと思いつつどうせ取れないと諦めた。

が、ザ・スズナリ(これはテントではない)で松也くんがゲストで出るというので情報解禁後即取った。現金なものだ。
プレイガイドのWEBで自動で選ばれた席なのだが、現地に行ったら最前列。
自分は小劇場では結構この位置に好んで座るのでそれは悪くないのだけど
地べたじゃないけど椅子でもない、20cmない低い台にクッションを乗っけたみたいな背もたれのない席で
コンクリにブルーシートで見るヒーローショーよりはかなり楽だけど正直姿勢が大変
体育座りですかね

隣の人は御年配で、えりさんと同郷だと言っていた
このあいだは三婆を見たが、このような劇場は初めてだそうだ
(商業の劇場からこれは差が大きかろう)
途中休憩があるんだろうかというので
ないと思うと伝えた
(なかった)

で、過去イチ舞台に近かった
普段はアクションを見にいくことが多いので、本当にキワキワだと危ないから、座ったその前に流石に数十センチは空いてるんですよ
ところが今日のは体育座りよりちょっと足を前に出したら舞台の際についてしまう
ゼロ距離なのだった
やあ。本当に物忌みが明けたんだね
水が掛かるかもと言われた 早く言っといてほしい
尤も外は梅雨の雨だ、大勢に影響なかった

舞台の高さは数センチしかなく
水もかかるし埃もかぶる
落とした小道具も転がってくる
物が倒れれば振動は直にくる
暗転時に見えるおびただしい数のバミリ蓄光テープの星々
役者は1メートル先にいる
なのに
いわゆる第四の壁というのはあるらしい
心理的にはテレビの中のものと一緒で
あれはさわれるものじゃない

面白い体験だ
距離じゃないんだな
向こうが居ると認識しない限り我々は存在できない

***

最初は恐らくは戦さの空襲の描写
そこに、身体としてはおかしな向きのヒトを背負って彷徨う男がいる

これが間狂言のように出てくる腹話術師で
ああ、この眼を知ってるぞと思わせる
大鶴佐助さん。
(開演前のアナウンスで唐さんの声がする…と思ったんだけど息子さんの声だったのかな)

「肉体」という名の空間にこの腹話術師と人形は居る
腹話術師は歓迎されていないようだ
まあしっちゃかめっちゃかで、言われた通りに水が飛んできた
現場を取り仕切るボーイ長のような人(後で台詞に出てくるが自称は演出家)は
人形は見える、あなた(腹話術師)は見えないという。
会話できているけれどいないのだ
(見ているうちは気づかなかったが
あちらに認識されておらず存在しない客席の我々と、見えないあの人は同じかもしれない)

あらすじに出てくる少女(貝)とおばあちゃんの登場は少し後になる
2人はセルロイドのお人形なのかロリイタなのかフリルの沢山ついた揃いのテイストの服装で出てきて、おばあちゃんは少女フレンドを抱えている。
2人は楽しく夢をみながら宝塚の地を目指している
女子であることは割と簡単なのだ
だが少女であるにはやはり若さが必要なのか
おばあちゃんは退場させられてしまう(なんでイカの買い出しなんだろう)

宝塚の伝説の男役 春日野八千代役は渡辺えりさん。
舞台の奥の方に綺麗なタイル壁があると思ったら風呂が出てきた
延々と生き延びてる人が風呂入るやつよくあるよね。培養液的なの。

だけど春日野が探しているのは自らの役ヒースクリフに対するキャサリンで、一見自分の肉体ではない
風呂の蓋の上をステージに、少女を相手役としてセリフを交わし
少女は目論見通りに交流しているかにみえたが
それは役割のセリフであって真実の言葉ではなく
おそらく春日野の欲する所も理解していないのだ

少女はまだ恋も知らぬという

一方、春日野の中味は
恋を重ねながらも都度廃却し、生きた女性であることを押し込めてきたものとみえる
女子であることは簡単だと書いた
それが簡単ではない人生もあるということ

最後に現れるのは、スターとしての春日野の相手役キャサリンではなく、
戦中に取り残された慰問先の満州で想った相手だ

防空壕だったという空間
靴の音
炎に包まれる重機達
世界は再構築されようとしており
来訪者はタブーを破り
変化は止めようとしても止められず
やがて空間は崩れ去るだろう
砂がまた降ってきたよ
ああ、ローラの時も降ってきたな

***

消えなさいローラの時にも書いたかもしれないけど
自分は色々と間に合っていない
渡辺えりと私との間にも十何年かのギャップがあり
それが戦後という文脈の上では決定的な谷である気がしている

少女仮面の初演は私の生まれた時代と大体同じだ
ベトナム戦争のころ

当たり前だが書いた唐十郎はこの時大人だ
私の親の世代で、幼少期にひもじい思いをした世代
それとて戦中に青春期を過ごしたと思われる劇中の人物よりずっと若いはずだが、その親は戦火をくぐり、周りにはリアルな戦後があっただろう
(…と考えると佐助さんはびっくりするほど若いな。)

私は戦後や高度成長に差し掛かる日本を体験できていない
物心ついた時には日本は先進国となっていた
私の知る戦争と戦後感は朝ドラでできている

舞台で流れている「悲しき天使」の歌は、私の母が台所で鼻歌に歌っていたから知っている。サビだけ。知ってるぞと思ったので曲名を調べた。

傷痍軍人は、私が大人になり、初めて上野公園を独りで歩いた頃にはまだ居て、しかしそれが本物かどうかは怪しかった
恐らくは消えてしまった戦後の残り香の真似っこようなものだ

足を負傷しているのに歩ける男が
なぜ水道に執着しており
どうやって食べていけているのか?
多分それは言うも野暮なことなのだ
けれどその文脈はもうスッとは伝わらないと思う

吹雪を背負って現れる甘粕大尉もそうだ
満州という言葉にリアルがあった時代はとっくに去った
それらは歴史になってしまった
我々はこれを素養で補わねばならない

それはそれで幸せなことなのだとは思う

***

甘粕大尉は日替わりゲストなので俳優さんは年齢性別さまざまだが
松也くんの場合は、あの頃と変わらぬ若さの麗しきあなたという所だろう
はいからさんの少尉かと思った
扇風機でぶわぁぁと舞う紙吹雪に包まれながら出てくる
「満州の吹雪を引き連れてくる設定」だそうだ
こういう形で出てくるのは
普通「お迎え」だと思う

それが、内地からわざわざ満州まで来たファンを連れてくる

あああ、
これを理解するのに歴史の素養は要りません
いそいそと見にきてすみません
これはリアルに俺らです

我々には偶像しか見えない
なんとか仮面は仮面の下を見せないものだ
中の人などいない

春日野はファン達が肉体を奪っていったと表現しているが
そのカタチが自分の所有物でなく偶像側のものになっていくこと
自分そのものであることを許されなかったということを言っているのかと思う

あの腹話術師も、自分と人形とが入れ替わり、コントロールされる側になってしまったが、春日野の場合ひとりの人間の中でそれが起こっているようなものかもしれぬ

けれど我々が偶像から受け取るものはそれぞれがほんの僅かな面積、角度でしかない
しかもそれはほんとの肉体とやらではないわけで
お返しできるわけもなく
それでも何かをとられたとおっしゃるなら
それはもう、ちょっとずつ分け合って我等の栄養になってしまったのです春日野先生。ごめん。あきらめて。

***

芝居が終わると
幕や緞帳はないので
普通に小劇場の、全員揃ってありがとうございました、物販あります、まだ公演ありますっていう告知タイムになる。
渡辺えりさんが、最前列の私の頭の上で、あれをあれしたのであれ、とか言ってて
本当にアレしか出てこなくて、お客さん全員 笑いながらアレ とは?ってなってたと思う。
そらまあそこに使うメモリは残ってないでしょうよ
完売だったんだけど増席したから完売じゃなくなっちゃったので宣伝してねと言いたかったらしい。

ゲストの紹介や、キャストの紹介や
パンフとか台本とかDVDとかまだ売れてないあれこれを次々紹介していく中で
松也「これはなんですか?」
えり「なんだと思う?」
松也「わからないから聞いたんですけど」
そりゃそうだ

松也仮面や、えり仮面のそんなやりとりも我等は搾取してしまいますからね。

大尉の連れてきた吹雪のひとひらでも普段なら拾ってくる所ですが
なんとなくやめました。
いまさらあさましさを隠した所でアレですが、なんとなくね。
雪は新橋で拾うとしましょう
***
音楽…新内多賀太夫……ああああ、三味線持った流しの人すげえ見たことあると思った。そっかそっか。

演劇

Posted by kikuyamaru