episode:final に関するなんやらかんやら(雑談)

劇場版 横浜見聞伝スター☆ジャン episode:final
完結しました。今冬公開とか言ってたのが、2年が過ぎて街も変わり
…菊名駅、便利になったよ。
ネタバレがあります
引き返すべきひとは、
ちゃんと引き返してくださいよ
自己責任やで
映画見てない人はそっと閉じて。
あと、濱尾兄弟寄りです。
各方向に配慮したまんべんない記事ではございません。
あとね、もしかすると書き足したり書き直したりすると思う。
「いろんな感想があると思います。
それでいいと思います。」
ある、非常にシビアな問題を扱った番組を手がけた記者の方の言葉です。
私はその言葉に時折助けられます。
誰の意図がどうであろうと、
感想や見方は受け手自身のものであって、それでいい。
だから、自分で見つけたものを大切にしてほしい
これは私のもの。あなたにはあなたのそれがあると思う。
世界を把握する話
映画の前には2シリーズにわたるあんなことやこんなことがいっぱいあるんだけど、映画では、そんなこともあったわねくらいになっています。
映画館で、スタージャンをよく知らなかったという方が隣から話しかけてこられて、ちょっと面白かったんで紹介しておくと、
前にテレビで見かけたことがあったんですって。でもあまり面白いと思わなかったの、って。
年齢がぐちゃぐちゃだし、わけがわからない。
だからお友達にもあんまり面白くないかもしれないよって言っちゃった。
今回関根さんが(Twitterで)人物紹介をしてくれて、だいぶわかった。あれは良かった。って。
私「わからないですよねー。
前に5分番組のときにも、監督が、相関図を見てくださいねーって言ってて、本当にその通りなんですよ。
見ないとわけがわからないんですよー。」
(ここまで映画館)
ものすごくわかる。
だから、私は、無邪気に”スタージャンはイイぞ”、なんて勧められなかった。
前提知識なしのスタージャンは、見様によってはわけがわからないしストレスのたまるところがあるんです。
全作品例外なく、投げっぱなしだし。
決して手放しでイイぞって勧められるような作品ではないと思うの。(ごめんよ)
だから、積極的に勧めたりしない。そのかわり、自分の嗅覚でかぎつけて情報を探している人には見つかるように、発信をしてきました。
今回映画を見て思ったのは、これまでの全部を見てきた自分は圧倒的に有利じゃんってこと。だって学の語りを10分弱聞かされて頭の整理が追いつかない状態をすっ飛ばしてすぐに話にはいれるもん。
こんなにストレスなく話にはいれるスタージャンは初めてだ。
おおお。私、一歩リードじゃない?
そんなわけだから、映画の前にep:2とか見たほうがいいとは思うんだけど、でもプリズムスターの描き方なんかは、映画くらいのふんわか度合いで十分なんじゃないかな、って思う。
プリズムスターなんて、理屈じゃないじゃん。知恵や知識っていう人間にどうこうできるもので解釈したところで、そっからはみ出していくもんがアレなんじゃないのかな。
ともかく、ざっくりと色々あった、と。
ネクラーに関しては走馬灯多過ぎだし、
巡のことはもうちょっと思い出してあげてもいいと思ったりしますが、
そんな、いろんなことがあった後のラストバトル。
前に氷川丸のとき書きました。うっかりするとそんなふうに見えちゃうよって。
しかしこんどこそ本当に、いろんなことを全部過ごしてきてのラストバトルだと、
ああ、きっと、この前に描かれた物語があったんだなあって、思っていただいても嘘にならない。
欠けていた世界の全景かやっと見えてきましたね。
役者さんのこと
あの。探がぽろっと涙をこぼすとこがあるんです。一滴ぽろっと。
1回目を見たあとみんなで話してて、”萩野さんの涙はきれい”、って。
なにと比較してかっていうと”関根さんが泣くとすべての水分が出る”。
(いや、あの、ぽろっと泣くのもできるのよ。)
内山さんは「映像の内山」って一部で(誰だよ)言われてるだけのことはあって、映像ならではの持ち味を出しています。
そんな、きれいな探、ぐちゃぐちゃな学、うっすらした巡が見られる劇場版だよっ。
人間ってこんな顔するんだなと思うようなシーンがいくつかあります。
歴の長い方々の芝居がいいです。
探、翔、どちらも深く丁寧に作っておられると思う。
(そのために、若い方との差がものすごい出るところもある。つらい。)
命(ミコト)の一言で、ドラマらしさが増す。
時分の華と、まことの華。
特撮を見てそんなことあまり思いませんが、
一座に大人がいるって大事だね。
若手の中ではエマニアがいい顔をしますね。
じょうずに編集してあるなあってこと
安心感のあるベテランだけでなく、演技経験のほとんどない方も結構いる。テレビでは、気になるところも結構あったんですよ。それがあんまりうわぁ…ってならなかった。ストレスなく進む。
いいとこ取りもできるし、芝居をしてから間(ま)を編集次第で左右できるのが映像なんだ。すげえな。と思う。いや、褒めてます。どういう間(ま)が気持ちいいかっていうセンスがないとできないじゃない、そういうこと。
一部、映画にしかないどうもならんかったであろうところが残っていますが、まあ、どうもならんかっただろうなあ。しかたないな。
逆に削れるチャンスだったのに、なんで残しちゃったのかなって思うのは
“役不足”と”お前のその自己満足の等しいもの”
あと”惑星えいちーー”(ばばーん「ブラックエンド」)
わかる、事情はわかるよ。でも気になるもんは気になるわ。
3つめの鏡
お話の中身に入っていきます。
時々、ひと月に4回の満月がめぐる月があります。その4つめの月はブルームーン。
欠けている青い月の意匠のコンパクトを持った男が、濱尾兄弟のもう1人であろうことは早くから示唆されていて、
話は最初のTVシリーズである外伝(ep1.5)に遡るんですがその幕切れは「にいさん?」である。
外伝を後半に取り込んでいるEP:1も物語上の締めは(最終話は雫が戻り瞬が起きる以外進んでないからね)同じシーンになりますが、「にいさん」や「濱尾兄弟」のニュアンスが若干違う感じに仕上がっています。この兄弟は自分たちが兄弟であることに双方とも気づいていない、ということになったのでしょう。
で、この困った兄だか弟だかがなんでこんなことになっちゃったのか、が、劇場版ではじめて語られる物語になります。
彼は、変なのに襲われている女性を助け…(以下略)。
マテ、お前ら全員それかい。
鏡のような兄弟という話を前に書きましたが、黒いハーフミラーのようなもうひとりの兄弟。
ここから得られる教訓としては、
コンパクトを持った異星人の女性を助けると大変なことになる。
さらに。記憶を失った兄弟が襲ってくるモンダイ発生。(マテマテ。)
これ知ってる。この後せっかく記憶戻ったのにバカ兄貴にひっぱたかれるんやで
しかし、巡のときはかろうじて回避した課題は、ずっとシビアな形で立ちはだかります。
私は全編いちばんすっと入ってくるのは探のセリフで、
学は、ちょっと考えてることがわかんないんだよね。
元々あまり本心を見せる方ではない学が、一瞬、闘う顔を見せるのが、かつてのブラックナイトとの初めての戦いの後だった。今回ライジングとなって立った学に、同じものを感じる。学ってこういうとこあるんだね。激昂してるように見えて冷静。(巡は逆だよね)
大事なところでしばらくの間ほとんど仮面になってるっていうのちょっと残念なとこですね。顔が見たいなと思う。
エンドについては伏せますが、
こういうのは、神様同士がやると、神話になるわけです。
しかしそうでなくても場合によっては”でーじなって”しまうので
兄弟げんかは素手くらいにしておいてほしい。
カケルニハヨイココロガアリマス
誤った器に集められた光と闇。
こころというのは真っ白とか真っ黒というもんではなく、
(たまに白でなければ黒という性質の方がおられたりもするのですが)、まあ、多くは色んな面があり、揺れたり、ひっくり返ったり、ごちゃ混ぜになったりしながら過ごしてる。
民意とかもそうだと思う。
全部を一色にしようとするような意思は決して正常なことではない
そういうことは多くの作品で描かれてきました。
あれほど多くの善意をもってしても止められないならば、それはすでに人の心ではないよね
ただEvilは記憶と半身を捧げよと言っていて(そう聞こえるけど合ってる?)
全部くれとは言ってないんだね
残りの半分は本人と言っていいのかな。
それとも、残りの半分はカンシエンスの分?
…カケルニハヨイココロガアリマス…
不完全な……不完全な悪心回路…?(オシンと読まないでください。ぐあいわるくなっちゃうからね)
本当にアカツキの元に3つを(カンシエンスは▽☆2つ居る)納めたら、どんなココロが現れたのかなあ。
みんなでいるとなんでもできる?
そういうことなのかなあ。
ナニカ後遺症大会
個人的な話になります。
EP:2が始まるときぽろぽろ泣いてた話、しましたかね。
当時は少しぼかしました。
撮影のときボランティアで参加しておりましたので、断片的に重要なシーンを見ておりました。EP:2と映画はまとめて撮っていたのでどこまでがテレビでどこが映画かはわからないけども、だいたいなにが起こるかわかるじゃないですか。
中にはEP:2で明かされたこともあるけど、映画まで持ち越したこともある。だから今まで、早々に退場する学くんのこと以外蓋をしておりました。
クランクアップの数日後、新キャスト発表で賑わう制作発表の日、秋葉原から離れた横浜で。学と巡、ふたりながら失うと知っていながら誰が旅に出したいものかばかやろうと思って泣きました。
そして、しばらくして、これまで存在していたスタージャンがどこにもいないことに泣いた。
例えて言えば、アカツキに危うげに納まっていたスタージャンや学というあり方がばらけてしまったというか。
(いまでも同じようには納められていない気がするんです。仕方なし。時は先にしか進まんからな。)
あれから2年。
みんながハンカチ片手に…主役の人が特に…しくしくと泣いてる中、涙をためたままスクリーンを見てました。最前列でな。
もう、あのころ充分に失ったので、ぼろぼろ泣いたりしない。ハンカチは要らない。これはおはなしのなかのことじゃん。このうるうるは、ネクラーとエマニアの分。
で。
2年間ずっと言いたかったシーンの話をします。
我々が子どもの頃は、テレビまんがと呼ばれていたものに対して、アニメという呼び方が台頭してきたはじめの頃でした。
わずかのうちに、あれほどあった実写作品が減り、アニメばかりになっていくその過渡期。その頃既におにいさんになっていたのが、アオイホノオに出てくるような世代。我々はそれよりもだいぶ下になります。
神の力と悪魔の力(か、歌詞じゃないからね)
今まで戦ってきたのが兄弟であったり
とにかく破壊したがる黒い3人めがいたりするものもあったし
彼には良いこころがあります であったり
願いを叶えるなにかであったり
浴びてきたあんなこともこんなことも思い出しながらスタージャンの映画を見てました
(正直マクロス(最初の)あたりの年までしかよく知らない。もはや多すぎて追えなくなったのと、受験勉強で見られなくなったから。)
スタージャンを見ながら…という観点で、一個だけ、あげるとしたら。私にとっては、”さらヤマ”。さらば宇宙戦艦ヤマト。
この映画と同時期のテレビ作品はラストが違います。映画はね、最後にお星様になります。(ここで思わぬネタバレを食らったと思っている方が万一いたらごめん。いないよね。)
テレビ版(ヤマト2)はまた別の結末を迎えるわけですが、それはおいといて、最初のシリーズはまあ帰ってくるでしょ。帰らないと人類が助からないからね。さらば、は勝てそうもないところに最終的に一騎で挑まざるを得ない。皆自分のやるべきことを果たしながら散ってゆきます。まあそういう作品。監督って人種は1作目で作って、2作目でぶっ壊すみたいなの時々やりますね。
いまは、ことあるごとにジブリ作品が放映されますが、それがヤマトと999だった頃がありました。夏休みになったらみんながヤマト見てたわけ。駄菓子屋行ったらカードとかシールとか売ってたしさ。
だからある世代にはそういうたぐいの共通体験があんですよ。そしてその後遺症がある。らしい。と、できたものを見て感じることがある。
前にほかのLHについて書いたことがあるのですが、ショーの中でもう力尽きそうになりながら
“俺たちにはまだ最後の武器があるじゃないか”とか言い出すの。やな予感する…とおもったら“それは、俺たちの命だー”とかいうの。
やっぱりかー。
これは書いた人が同世代なのにちがいなし。
スタージャンに戻りますと、私は、撮るときボランティアで手伝ってて
…これは、あれだ、お星様になるやつだ…ってことは把握してた
そのときすでに、やめてくれよ、ヤマトかよ…っては思ってたのが、
できたもの見たら、
全員特攻かよ
ああああ、死んだ恋人とお星様になって結婚式かよ
一緒に行くと見せかけて一人でいくのかよ、
ヤマト後遺症大会かよ!
あ、私ヤマトは好きでしたよ。
こどもの頃は愛とはヤマトのようなものと(他を知らんからな)思っていたであろう。
けどね、長く生きるうちに、突っ込んでお星様になるような話は嫌いになりました。
死にに行くのに、死にに行くのではないって言うのは欺瞞じゃないですか
死にに行くのに、また会えるなんて嘘じゃないですか
なに言ってんだよ、だよね。
脱線しますけど、涙(るい)がさ、なんの躊躇もなく、親が止めることもなく、行ってしまうんだけど、違和感がある。
涙は元々後付けの存在なので、最初の構成に戻るように引き算していくと消えるんです。また、王位継承権が大事なのもわかる。
だけど、涙はこどもなんだよ。
涙の志願を止めないのは何度見ても引っかかってしまうところでした。
お友達も、なんで探と涙じゃないんだろう?って言ってた。
ラストは書くまいと思います。
そこは、見てほしい。
あと、最後のあたりの解釈は放棄しました。
どうとでもとれるので。
ないと困る部分ですよ。その意味ではぶっちぎったままのEp:2の10倍はいい。
ある意味では好きですが、別のある意味では好きなしまい方ではないかな。
学は、相変わらず勝手なことを言ってやがりますね。
書けないけどね。
過程と結果がすり替わるとき
”大切なものさえ守れなかったんだとしたら 一体なんのために戦ってきたんだ。”
おなじみのやつ。
このセリフわかりづらいと思ってるんです。なんとなくおかしい。あーた、だとしたらとかいう事態じゃないでしょ。
それはさておき、
守れなかった。その結果をもっとシビアに繰り返すシーンがありますけど、本当は、これはその位置に行くべき言葉なのかもしれないですね。
“いったいなんのためにたたかってきたんだー” ってのは。案外、大テーマなのかもしれないって思ったのは、見終わってちょっとしてからです。
1回目見て、その後見聞があったから(またそのパターン)、空いた時間でみんなで話してたんですが、"泣けたー"っていうところを通り越すと、”酷い"ってことになる。監督がアレをやりたいために戦ってきたんかいっ。
はっ…いったいなんのために…おおおおおっ、まさかそのためかーw。(笑)
それは冗談として、後付けのシーンが加わったことで、一層、なんだったの?ってなるじゃない?
なんのために戦ってきたんだ。
これは、みんなと話さなければ思わなかったことかもしれない。
あの芝居に対してはね、何で上向くんだよ、逆だろ、って言う人がいるんよ。(ああ、先に書いた人たちとは違う話よ。)
わかるよ。(雷來)
悲しみにしろ悔しさにしろ、下にいくよね。
弟をぎゅっと抱きながら、いったい何のために戦ってきたんだ、(男泣き)もありだし
悔しさが地面に向かうのも有りかもしれないね
だけど、学は真上に向かってアレをやるわけですよ。
あれは、もはや内側に向かう悲しみではなく、
自分を選んだ何かの意思というものがあるのなら問いたいという
天に向けた、理不尽への怒りであろうと思う。
なんのためにたたかうのか
それは、戦いに挑むときにはわかっていたことなんだ。
しかし目的が果たせないときに、そこで発せられる、なんのためにたたかってきたのか、という言葉は、意味が違ってきます。
この結果のためにたたかってきたのではないはず、という思いだよね。
果たせなければそれまでのことは無なのか。
それへのアンサーは雫姫の言葉でしょう。
結果で過程を塗り替えることはないんや。過程は過程として意味がある。
果たせなくても可能性の前に実行することに意味はあると思わなければ、我々は前に進めない。
だけど、やっぱり虚しいな、理不尽だな、とは思うよ。そこに導いたなにかがいるなら、ね。
そろそろ横浜の話をしようか
Twitterで、まったくスタージャンを初めて見た映画ファンの感想を読んでて、ああ、横浜の話だと受け止める人がいるんだなあって、思いました。
それ、タイトルにだまされてない?
ほんのわずかな情景にだまされてないかい?
あれは横浜の話だったかい?
横浜とはなんだ。私たちの知っているのは本当に横浜か。
わたし自身としては、横浜で上映してくれたことは大変ありがたかった。レイトショーがあったことも。
なにしろ職場から30分。少々残業しようが駆けつけられる。地元サイコー。にちじょー万歳。
でもなんで横浜にしたの?
当たり前に横浜でやるだろうってことも、ほかでやってきたじゃない。
へんなの。
映画はわざわざ見にきてもらわなきゃいけないって、前に書きました。
この話を横浜で見ることに意味があると思って見にきてくれた人、どれだけいるんだろうか。
わざわざ見にきてくれた人はたくさんいると思う。多くは人を見にきた方。
この作品、毎回舞台挨拶をするという、あたまおかし…いいえ、サービス精神で、なんと毎回主役が登壇。全21回。(願掛けかなあ。)
だけど人が集まるのは特別なゲストがいる回だよね。
ずっとずっと「誰が出ている」って宣伝の仕方しかしてこなかったもの。そこはもう、最初からそうだろなって思ってた。
逆に疎遠になってしまっている出演者のファンの方はあまり来られなかったかもしれない。
しかし、ほんとーーにガチの人ってのはいるもので、各方面お一方くらいはすべての仕事を網羅する勢いの方がおられまして、役に愛着を持って観に来てくれました。
あとは、各種つながり。
スタージャンへの愛着で来ている方は、量的にはぽつりぽつり。これは見聞に来る人と、かつて来ていた人。ある意味つながりと言っていいかもしれない。
あと、LHとして知っているという方。この人たちは純粋に作品を観に来たかもしれない
レイトショーの観客の中にスタージャン自体を見にきた人は多分1人だなと思う日があって、ロビーの長椅子を埋めた見知らぬ人たち同士は別の同じ目的なんだろうと思ったらそのアウェイっぷりにこみあげてくるものがありました。もう作品自体で涙をためることもないくらいに回を重ねていたのに、こんなところで泣けてくるなんて。
新しい人が見に来てくれることは勿論有難い。
だけど、もし、何年か前だったら、スタージャンを見て愛してくれてた人がもっと来ただろうなって思った。
今まで長すぎたよ。沢山の人がいなくなったよ。
舞台挨拶のときに映画館の人がプリズムスターにお願いしたいことで「スタージャンで満席」って言ってて、その願いプリズムスター並みかよ、って、心が泣き笑いしましたわ。
しかしこの映画を普通に映画として見た方が何人か広めようとしてくださったり、この作品と題材と横浜のつながりから、ここでしかできないと捉えてくれてる人がいらした。
まっさらから見ればこの作品にもそういう所がまだ見えるんだって思いました。
映画の話はここでおしまい。
だけど、映画が終わったら書こうと思っていた話は、ここからはじまる。
それは、書くのに少し時間がかかるでしょうから、またのちほど。ばいばいじゃん。
(参考までに、はてなのブログに、素(す)のメモを置いてあります。
エマニアの傘のタグが気になる、みたいな話ねw)
(8/13 追記 “映画が終わったら書こうと思っていたこと” はこちら。
浜風の吹く場所で。(物語と人とお近くのヒーローに関する雑談) http://kirokubu.daynight.jp/kikuyamablog/archives/533 )