「スタージャンのおはなしして。もっとほんとっぽく。もっとゆめみたいに。」(スタージャン神終盤戦に寄せて)

2020年12月15日スタージャン,ローカルヒーロー

※全部終わってからまとめ上げて公開しようと思いましたが、終わってからならどうとでも書けるよね的なものになりそうな気配なので、まずは8話終了後までに書いたものを…とっちらかったままですが明かしておきます。残りはまた今度。
横浜見聞伝を踏まえてスタージャン神(以下 JIN)について書いてゆきます。
私にとってはスタージャン(横浜見聞伝)はJINの前作ではなく、長年の友なのでw、絡めずに見るのは無理ですね。逆に両方観てないと読んでもわからないと思いますが雰囲気で読んでください。
あと、マナブ寄りです。
ストーリー作りについては、関根さんがhearrやらでちょこちょこ明かしてることもあります。話を聞いたらあれちょっと違ったなと思うところもありますが、自分の印象を大事にして書き直していない部分もあり、まあ、そういうズレもあることご了承ください。
(前提  関根さんは主演兼いろいろ。監督はMOKUさん。進藤さんは脚本。
映画=final (今後ほかの映画がないとも限りませんからね)
學はJINのまなぶ。学は横浜見聞伝のまなぶ。ほか、説明なく歌舞伎用語とか作品名とか出ます。)
スタージャン「全」シリーズのネタバレがあります。すごーくキケン。引き返せ。(おまじない)
閲覧は自己責任でお願いいたします。念のためしばらくタグを外しておくわ。
あと、すごく長いです。ご容赦。
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この話、毎度のアレから始まるじゃないですか…
#『』内でブログなり別のページなりに自分で書いておりますものを引いてみます。
『だけど、学は真上に向かってアレをやるわけですよ。
あれは、もはや内側に向かう悲しみではなく、
自分を選んだ何かの意思というものがあるのなら問いたいという
天に向けた、理不尽への怒りであろうと思う。』(finalについて)
『学は何かに選ばれた勇者だと思って一応前向きにやってきたわけだ。けれど何のために戦ってきたのかを問う先に答える存在はなく、よかれと思ってやってきた先にある自分の道をゆくしかなかった。まあ、それがヒトの世界だよ。神様は普通答えてくれない。自問はどこまで行っても自問だ。』(JIN初回について)
しかし、「答えろ!ジン!」というのが今作の導入である。
『今回は天に向かって物を言う意図がはっきりしています。言ってみれば行き場のある怒り、ですかね。』(JIN初回について)
今作の在り方は、ここに現れていると言ってもいいかもしれませんね。
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今作…JINについて

あえて、浅めの意見から書かせてもらうと、
JINは、ありものの形を再利用してみたっていう作品っすよね。最初の物語をその姿から切り離して。
それだけじゃないよって言うかもしれないけど、まあ、そうだと思わん?
人間のほうも(マンガなどのほうの)スターシステムというやつで、同じ名前と顔の人物を出して。
そこに徳山さんを掛け合わせてどんな世界観にするかって感じでできてるように見える。(ホントのことは知らない)
(形式としてBattle Royal式のなにかになっていて龍騎に言及する人が多いですけど、ワシ今世紀のライダーよく知らないので(おーーーーい)。いや、まじで語れないのでごめんなさい。)
いわゆる「ナニナニのセカイ」というやつ(例えば歌舞伎の助六はあんな紫鉢巻の格好だけども、あれは”曽我の世界”で、本性は鎌倉時代の敵討ちで有名な曽我五郎なのだ、ということにされている。そういうやつ。)が、スタージャンにも適用されると思ってみたい反面、全然関係なさそうなキャラもいるし、スタージャンがスタージャンであるためにはどの程度何が守られればいいのか、考えてしまいますね。
テレビで映像展開しているご当地ものheroは、年単位で作品を入れ替えて商品展開してゆく大手作品とは違い、同じ題材で長く続けて定着させていきます。商業として儲かることはまずないので(言い切ってしまった)変える余裕もないのかもしれない。
永遠に同じ座組で同じ枠組で続けるのは難しいですから、何かしらの新陳代謝をしながら続けられています。
同じ軸上でたびたび形を変えながら続く物語もあれば、姿は同じまま、時代により宿主を変えて行くようなのもある。
フォーマットを守りパラレルワールド的に展開するもの。主人公を変えずに敵や新キャラを加えて長く続けているようなもの等々。
JINの出来方は、姿は流用する。フォーマットは守らない。世界線は前とパラというよりは”ねじれの位置”にある気がする。(交わらないが平行でもない)。本性はキャラや設定に微妙に影を落とす、といったところ。
ところが、ねじれの位置にある筈の世界が途中から干渉してくる。
この話、スタージャンなのか?って思いながら見始まりませんでしたか?
そしてどこでスタージャンになりました?
さすがに6年とか7年とか継ぎ足し継ぎ足しやってきた作品でつらくなったところの轍は踏まないというのは感じられます。
山のように人を出すにしても、ただ設定があって順番に人が増えてくるだけじゃなく、バックグラウンドも付け、役割も付け、強弱も付け、それぞれのベクトルが生まれ、転がっていく(起承転結というよりは、起転転転…みたいな作品ですが)。
申し訳ない言い方ですが、前は連続ドラマというより人を出すことと、その設定の説明と、定められたイベントのためにあるような作品だったと思うの。(プラスびっくり箱がいくつか仕掛けられている)。
この人こんなことしそうという想像もJINのほうがしやすい。
設定と人物造形は違うということかな。
私は、横浜見聞伝に有り余るほどの愛着がありますが、実物と遊ぶ方はともかく、映像は万人には勧めづらいと思ってきました。
やりたいことはわかる。でも辿り着けてない。いいところもあるけど手放しで褒められない。
おかげで好きな話は本編全く関係ない「ケンブンクッキング」って答えてたくらいだよ。あの馬鹿さ加減は私好きです。
JINも、グリーンバック合成のJINの部屋とかは、まー、”やりたいことはわかる”系ですけど、そこに目をつむってもいいかなと思うくらい、地に足が着いてきた気がします。

掴めるカケラ

横浜見聞伝の話。映画のとき、舞台挨拶(全上映21回全部関根さん登壇(もう舞台挨拶だか前説だかw))で、当然毎回初めてのお客さんが居るんですね。
裏話やなんやらで時間が無くなり、ネタバレにならない範囲で最小限知っておいてほしい知識を話さないとというときに、関根さんは、プリズムスターというものについて説明をすんですよ。Episode:2でこいつの正体は明かされるのですが、そこはep:1では当然わからないし、映画の中でも詳しい経緯ははしょられています。ep:2は多分、その時点でほとんどいきわたってませんからね。ちょっと補足が要るということでしょう。
関根さんや監督はよくドラゴンボールになぞらえてるんですけど、世間にはいろいろあるじゃない、全部集めるとなんかなるやつ。そういうやつを探すのが横浜見聞伝のミッションだったんです。
そのプリズムスターには形がなかったんですよね。
どういうものかわからない状況で何年もひっぱって、ああいうもんだとわかって
(何年もひっぱってと書きましたが、お話の中では(なんと)半年くらいだったと進藤さんがツイッターに書いてて(2018/5/28)、衝撃過ぎて「は?」だったのですが、「そんな昔の約束」と言ってる雫姫的には絶対5年くらいたってるはずww)
しかし、形がないとは言っても、どこかに宿す必要はあるようで、それがうろちょろ移ろいあるくものだから、いまプリズムスターはどのコンパクトにいるんだっけ?みたいな状況に陥ってました。
(途中何年かハママークに居たらしいですが、ハママークは横浜の至る所にあります。それはもうたくさん。
マンホールから側溝のふたからハママークついてるし、住民票とれば当然ついてるし、そんなものにプリズムスターが居たっていうのは、ここにもあそこにもプリズムスター?どういう状況だったのかまったくわからん。どのハママークからも本体にアクセスできる状況だったのかしら(ハママーク、ハイパーリンク説w)。)
そういう持てないし見えないものを争奪するには、魔法っぽい説明しづらい力を動員しないといけないし、奴らには意思まである。やっかいです。
JINでは、形あるものを奪い合うことになりました。実物があってわかりやすい。
名前は「フラグメントコンパクト」。
finalでジンが説明をしています「カミのかけらを奪い合う」。フラグメントはそのまんま欠片という意味です。
形はプリズムスターの容れ物であったココロコンパクトの流用で、スーツお着替え機能もそのまま流用。
かつては分裂してしまったプリズムスター、今度の世界ではコンパクト自体がかけらなんですかねえ??。
そのあたりにも表れてるのかもしれませんが、全体的に表現が現実寄りになっています。
まず、鞄を持ってる。持ってるから、光ちゃんなんか、戦う前に、投げ捨ててっからね。
あと、睦美ちゃんがおうちにすんでます。当たり前じゃないかって?それが、前のときは、生活の描写はありませんでした。濱尾兄弟がどんな暮らしなのか謎だったんだよね。
あと、呼称ですね。そんなに頑張って個性をあらわさなくてもいいっつーくらいに一人一人が學を呼ぶときの呼び方を変えてます。
それから、傷の手当。血が出たり、病院に連れて行かなきゃっていう現実性ね。
(その代り、學がおなじ服何枚持ってるのかとか、葵、バンダナ持ち歩いてるんだね…とか、警察の前で戦うのかよ、とかは頓着しないらしい)
悪にしても、「星ひとつつぶす」(どうやって??)みたいなのじゃなく、強盗だったり、実際に警察に捕まりそうな悪から始まる。
将と真がセンター北あたりにいるのも、裏社会とやりあったりしてるようなワルじゃなく、ああいう郊外でちょっと悪いことしてみたみたいに見えて可笑しいですね(おかしがってはいけない)。
光が剣道やってる説明はもともと脚本にはあったらしいですが時間の関係で略らしいです。私は、結果的に「めーーん!」でよかったんじゃないかと思う。あれは好きです。
その代り、リアリティの要らない(もしくは描けない)ところは、ぽーいしてます。
前の時、足で屋上に上ってましたからね。今回は大幅ショートカット。便利だなジン。
見たことない場所のためにSF的なディテールを施していくような緻密さは、この作品にはない。ないのに宇宙はだいぶ苦しかった。でも真っ白な世界なら何も描かなくていい。同じ「やりたいことはわかる」でも、つらさは減りました。

「ナニカに選ばれた勇者」

JINの物語の発端は、選ばれるところから始まる。
奪い合うものもブツになりましたが、何かに選ばれた勇者なんだって信じて…とか酔ってたら、ワタシが選びましたってヤツが出てくるんです。この無粋ったら(笑)。でもこっちはそういう話なのだ。
選ばれた勇者であるためには、まず選ばれてしまうという類い稀なる運の悪さが必要である。JINの登場人物はここを突破したたいへん運の悪い方々です。
実際急に選ばれたら、なんで俺やねん!ということになるわけだ。ふつう。
しかし選ばれたから戦うという前向きな方向に向かう人もいます。緑子さんはそうですよね。コンパクトを1つ失い瀕死となってももう一つのコンパクトを得て闘う。
前にそういう人いたでしょう?死にかけて帰ってきたと思ったら以下略っていうたいそう迷惑な人がぁ。確か、はまおさんとか?あの人もまた、大切なひとのための勇者であろうとした。
それをさせた、これで戦いなさいましと言ってコンパクトを差し出した雫は、ジンとなにが違うんだろうか。
戦う拠り所を与える存在としては同じなんじゃないですかね。学や緑子はその瞬間に、戦う意味を得たのであろうと思います。(だからこそ、それがやぶれたときに「いったいなんのために」となるわけだ)
何かに選ばれるだけでは勇者たりえない。そこに闘うに至る文脈がなければ。
學くんは望まぬことからそれを得てしまう。自分を納得させるために対話をし、確かめながらリミッターをはずしていく。

こんなに出ていいのかマナブ

『伝説の勇者と同じ名前の若者が臨死をきっかけに覚醒…みたいなことになっており。 やべーな。そんなたいそうな人だったかマナブちゃん。 』(8話について)
主人公は、濱尾学/スタージャン。これに対する横浜見聞伝テレビシリーズでの説得力のなさといったら。0のときはまあまあ主人公っぽかったのですが、テレビになった外伝の時はまー、影が薄かったですねえ。2では学ぱーーーんだし。ぱーーーん。
一応映画の最後は頑張ったけど、実際のところ探が持ってったし。(#ただし、巡の薄幸さに比べると学はマシだな)
しかーし。一度は終わった物語を続けるために…ただ死なせてはもらえなかった学ちゃん、生かしたり殺したり忙しいわっ!
JINでも學が本気出すまで前半いっぱいかかるっつー状況でしたが、今回は役の不在によるものではなく、なかなか変身しないぶん、しどころがたくさんありました。學すごい長いこと映ってるねー、こんな出ていいの?みたいな。
戦わない意思を持っている主人公が、戦うに至る、むしろ闇に近いところまでいってその先どうなるか?という一種の類型をたどってみた感じです。ただ、途中で一瞬ほぼ死にます。またですよ。もーねええ。でぇ、前の学とまぜまぜしてしまうので、また違う面が出てきます。
なんか、ちゃんと芝居をするところがあるのが逆に不思議なんだわ。スタージャン的には、らしからぬ、ですよ。
もちろん、主人公にちゃんとクローズしたほうがいいよ。何考えてるかわかんねー主人公とか寄り添えなくて困るでしょ。
はー。7年やって、やっと主人公かマナブ。長かったな、おい。
で。作品タイトルに「神」とついてるのに下界中心の感じで、ジンはいまいち何考えてるかわからんよね。
finalを見たときに、ジンという役の位置づけはおおかた見当がついた。(あの出方も、もう撮り終わってるのに絡めるのだから、次作の導入にでもするしかないよねと思っていて、実際そうなっていた。しかし出るよって言われて見に来た人はあれで納得してたのだろうか。(してたと思えねえ。) )
舞台挨拶の時に監督に次回作では"主"みたいな扱い方をされていたんで、もっとジン寄りの視点、ストーリーで行くかと思ったんですよ。
スタージャンとしてはやっとマナブちゃんが存在発揮ということでいいんですけど、ジンからの視点で同じ局面を見つめ直したらどうなるんだろうね。

予期せぬ例外

ちょい脱線しますが、私はゲーム理論という学問を学生の頃やってました。当時は小さな個人の行動と大きな経済政策のようなものがなぜ同じ経済という範疇なのか全くピンときてなかったですね。
1人が与えられた条件に対してどう行動するか、これは意思決定という。2人以上いて互いの選択が相手にも影響するとゲーム的状況になる。そういったいくつもの行動を採集して観察して重ね合わせていき、或いは国、或いは世界、或いは長い歴史へと視点を上げながら眺めていくと、カオスなこの世の中に何かキレイな説明が見えてこないか。そういうことを考えるのが経済という学問なのでは?と、今はうっすら感じている。
ジンはそれに似たようなことをやってるように思う。
ゲームの結果はプレイヤー同士の選択次第。
だがゲームには所与の条件というものがあり、それをプレイヤーが変えることは普通はできない。
変えるのはジンだ。そういった、自分の意ではどうしようもないものを左右するのもまた一般的にはカミだと考えられている。
しかし人ってそんなセオリー通りにはならないわけで。(だから経済学も後付けのモデル化はできても理論どおりに再現したりするのは難しい)。
主人公は蚊帳の外かと思えば急にやる気出してゲーム自体をぶっ壊す勢いである。#臨死体験すると価値観が変わるっていいますし(ぉぃ)。
マナブは「予期せぬ例外」ですね。プログラムを書いていると(仕事でな)、普通に考えてここは実行されない、っていう部分があって、それでもそこに来た場合は「予期しないエラーが起こりました」という処理をするように一応書いておいたりするんですね。
でも実際にそのメッセージが出ていたら、実は「起こり得ないこと」じゃなかったんですよ。プログラマが可能性に気づかなかっただけなんや。
いや、あの他所から来てしまうヤツはセグメンテーションバイオレーションかもしれん。(書いちゃいけないとこに書きにいってぶっ壊すような事態。)とにかくバグ仕込んだのはジンだと思うわぁ(笑

リセットボーイ

求。多分身内を出したかっ( ぴー)音声に混乱がございました。実体のあるような無いような状態でゲームの埒外にいながらちょくちょく関与してきます。こそっと盤の局面を入れ替えたりする役です。この力技っぷりは特殊で、話の可能性を変えていく。もしかすると(どこまでの範囲かはしらないが)いろいろなことが見えるところにいる存在、かもしれません。

神の真似事とジンは言う

ひとが暮らしを始めたころ、自分達にはままならない大いなる力や意思が外にあると思ったのに違いない。
できないことでも人間は望むことができる。叶えようと頑張ることもある。
しかし、それは神のまねごとをしてるわけじゃない。
確かに神にはすべてができるかもしれない。
すべてとは?
人が考え得ることのすべて。
だから、神のすることのひとつひとつは、ひとのしようとすることなんだよ。できようと。できまいと。
空を動かし月星を動かし雨を降らせ日を照らす者
きっとなんでもできる。
そこに姿が与えられる、まるで人のような。
かたちあれ
光は見えない。(光ちゃんのことではないw)
物に当たると見えるようになりますがそれは光自体と言えるのかどうか微妙です。
私は、この話、ふわっとしたスタージャンを自分(自分って誰だよというのは置いといて)のわかるようにブツに投影してみたようなところがあると思う。
皆まで言うなということまで書いていて、無粋ゆえにわかりやすい部分もある。
話がねじ曲がって行くさまにすら理由を与えてみたようだ。

「スタージャンのおはなしして」

どこかにある惑星エイチ
どこかにあるヨコハマ
漂う、形なきプリズムスター
星を滅ぼすアク
勇者を選びしナニカ
「形あれ」と呼ぶ声が聞こえ
そうしたふわふわとしたものは
掴めるものに姿を変えて、本性を潜める。
ぼくの知っているコンパクト、その辺にいるマナブくん。
セカイを覗いているカミ。
ぼくの知っている すたーじゃん。
寝物語は自分の知ってるものになって夢に出たりします。
いつのまにか自分はお話に混ざり合い、世界に出口はなく、果てしなくさまよったりする。
一方で、夢の中というのは、なにかを意識した途端に方向が変わったりするんですよね。
これは夢だなってわかった時点でゆめをねじ伏せたりできることもある。
夢は実体がなく、ただただみてる者がいるだけである。その者の記憶や意識の引き出しの中にあるものを制御できない組み合わせで、ときにムリな辻褄を合わせながら延々と紡がれる。
[胡蝶の夢]という話があります。中国の古典です。昔から、まったく理解できませんでした。ざっと書きますと、「夢の中で蝶であった。目覚めると私だった。自分が夢で蝶になったのか、蝶が夢の中で自分になっているのか。」
自分が蝶の夢ってこたぁないだろうと思うわけですが、書いた人からすると、どうもそれはどっちでもよくて、要は夢の中で蝶として在っても意識は自分の意識であるし、目覚めた自分ももちろん自分の意識であると。
その意識ってやつはどこから生まれるのか
そもさん。胡蝶の世界が消えたらこちらの自分はどうなるのか。
「物語だと想えば どこもかしこも夢だよ」(SAILOR MAN/詞:飛鳥涼)
***
#ここまで8話までで書いています。9話からかなり種明かしがあるので、それを踏まえた話は後日書こうと思います。
* つづく?…か? *
(4/16追記 総括こちら↓
つくったりこわしたりつくったり (スタージャン神-JIN-終了に寄せて) )