朧のちょい森(博多座 歌舞伎NEXT 朧の森に棲む鬼 ライブ配信 松也ライ版 チラ見つまみ食い)
2025/2/24 昼 博多座 松也ライ千穐楽 ライブ配信つまみ食い 速報レベルの感想を書いておきます。
文中の今日は配信日。
なんでつまみ食いかというと、自分が移動しながらでして。所々抜けてます。
なので見逃しで見て、幸四郎のも見たらまた書くかも。
新橋で何回か見まして、そこから2ヶ月あいての朧再会でした。
途中、染シュテンは浅草の光秀、時ツナはお園の大役を経て多少なりと影響はあったんじゃないかな。
博多は全体的に皆さんの芝居がたっぷり気味になっているように感じました。
世の中がイメージする大袈裟なお芝居に歌舞伎の人が逆に慣れてきたのかもしれない。わかりやすくなりました。
説明が多いと思うこともある。
キンタは少し鈍さをはっきり出した描写になっていますかね。
新橋ではもっとよく察して、さっと同調して寄り添う。ライがそう動くなら自分はどうしていればいいかを、これまでの相棒人生で体得してる。結果割とうまくおさまるみたいなとこがあったように思う。
博多では、意図が一発で通じていない、言われた通りに立ち回れないという描写を増やしていました。
ただ、やっぱ、右近はあっけらかんとしたバカにはならなくて、覚醒してからの方が本性っぽいんよな。
ツナは豊かに芝居するようになりました。
メリハリがかなり違いますし、相手とのラリーが面白くなった。
松也ライは少し「ライ」に寄ったような。ライがライに寄るって変だけど、"松也の演劇"だったり"松也の歌舞伎"だった所がライに見えてきたなあ。
再び高麗屋っぽくなってる気もして面白い。
が、宙乗りのときのやり方などはもう、「松也型」と名前をつけていいような気がしますね。
(まだ博多幸四郎見てないんだけど)
あとね、ショウゲンの表現力がちょいUPした…気がする。
朧さんが登場の所
生き血だよ の後の繰り返しで
今日は、イノチだよあんたの って言ってませんでした?
新橋こうでしたっけ?
生き血を2回強調して、俺の命か?、そうなるかねえって流れだと思ってた。
朧がイノチって言っちゃうと底を割る感じじゃない?
もっとも、生き血だよは言葉として聞こえづらかったんで、命だよはスッと聞こえてくるなとは思いました
鳥の名、人の名
キュウちゃんの鳥種(?)は物覚え鳥とかいう模様。
本日サダミツ似は「ちあきなおみつ」
巧い嘘
悪党が情に流されたらおしまい、と言った直後に現れるキンタは過去の自分の情の結果そのもの
この仕掛けは最初見た時から変わらないのですが、
その後のライは観るたびに違う
巧い嘘をつけなくなったらおしまいと言われる意味もそれによって揺れます
嘘をついていても上手くはないのか
嘘をつけなくなったのか
キンタにかける最後の言葉は
まさにぺらぺらの薄さのときも
懐かしいものを愛おしむときも
あの頃の日常のようなときもあった
今日のライは、さっきまで饒舌に朧との契約を告白していた転がすような言葉をやめて、
ちょっとつまってから心を込めて語るように話していました。
いつぶりだろうか、キンタにちゃんと向き合った言葉。それは渾身の真摯な嘘か。
ライが自ら生かしたキンタによって危機に晒されるのは自分によって追い詰められたとは言えないか?というツナの示唆は、新感線版のときも、新橋NEXTを何回か観た時も、屁理屈だと私も思っていたのですが、この博多座配信では、ツナの言葉を待たずに
キンタを陥れたときに葬った自分が、キンタと共に蘇ってきたんだ、ライはそれに殺される、って気がしました。
キンタの生存が教えてくれたライの無意識のまこと。
だけど一度キンタを死なせても良いと思っただろうこともまた真実で
だからライを信じてくれたキンタはあのときいなくなった
巧いウソは信じる人がいて成立するもの
多分何度となくかけた同じ言葉は、一緒にいる限りはウソでも本当だったのに
嘘で繕わずに裏切りを明かしたあの時のライの選択と、蓋をした自分の本当が、いまここにあるライを殺すんだ。
ウソを騙る限りは応える朧の剣が、しおおせなければ自分を貫く。そういうこともあるんではないか。
「ライ」であったものがうなだれる死の表現も、新橋で見たよりはっきりしていたように思いました
その先はただただ執念のみかと思われます
実は自分がこんな解釈になったのは今日だけ
ライの語調ひとつで、"うまい嘘をつけなくなったらおしまい"の意味がいくらでも変わる。
シネマ歌舞伎になって固定されたら、この何十日も重ねてきたいくつものライの言葉は埋もれ、いずれかひとつに定まってしまうのか。
もったいないもったいない。
松也ライの宙乗り
花道の真上を進むようになるので、劇場で見たときは引っ込みの際の見得や六方を空中でやっているように見えてました。
個人的にはここが配信になって最も印象の変わったところで、カメラで捉えた鬼が画面の真ん中にきます。
空中のよきところ(なのでしょうね)にてツケの打ち上げが来て、これでもかと見得。さらに見得。
幕切れの見せ場を空中に持ち出したような印象を受けました
よく見得はクローズアップですなんて言うけど、本当に寄ってくるんだから、クローズアップの上乗せってことでよいかしら。
松也丈は宙乗り何したらいいかわからないって言ってたのですが、
歌舞伎役者がやるなら何ができるかといつも問うていた彼が、歌舞伎として幕を引くさまは、なんかよかった。
師走の始めに比べたらだいぶ歌舞伎に染めたんじゃないですか、森。
新橋演舞場で見た時のメモは以下にあります。
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