「板子一枚下は地獄」であれば(ハルサーエイカーに関するあれこれから)
行きがかり上、また一通り見てしまったので、また考えたんだけど、
「板子一枚下は地獄」であれば、毎日が死と隣り合わせであれば、最終的に今日生きてる方が勝ちになる。
海人の論理はそういうもんかもしれない。
畑人は、おてんとさん次第の長い賭けのために、コツコツと仕事を積み重ねる。同じように最後に勝てるかどうかという問題は降りかかってくるけど、スパンが全然違う。
最終的に、今日生きてて勝ったとして、それは主張が正しかったかどうかとは別で、したいことが通るだけだ。
そうじゃないよ、話し合おうよ、というのが1でアイちゃんが体現してることだと思う
2では、そこをだいぶショートカットしてる感じで、遠目には「それが争いだよ」(ハル)と見えることを、アイちゃんがすぐに「わかりあう」という言葉に置き換えているのが、どうしてもしっくりこない。
わかり合いたい方が相手をやっつけたらわかり合えないから、2のリョウはカマーをやっつけない。
このへんはわからんでもない。
けれども、2の野菜のアレはそういうふうには見えないし、なにをわかりあってるのかなあ。
ここ、私にとって、ハルサーエイカー2での未消化なところです。
先に書いた「板子一枚下は」という話ですが、それを思うと、2のリョウさんの後出しジャンケンがちょっとおもしろかった。
さすが、最後に立っているものが正義や。
義理堅いようでいて、変なところで力技を出してくる面白いおじさん(ごめん)です。
ドブーさんと違って、ほんとの意味でプロセス大事ではないんだね。
とりあえず最初は何かを言ってみるけど、途中はショートカットして大胆に結果に持っていく。
狙ったら、そこに向かっていくことが大事。なんかそういう感じ。
だから目標を間違うと壮大にやばいですね。