ゆく春や豊洲に実るこぼれ種(新作歌舞伎 FINAL FANTASY Xを最前列で見てきた話)

新作歌舞伎 FINAL FANTASY X
2023年3月4日(土)〜4月12日(水) 前編 11:00 後編 17:30
公式サイト https://ff10-kabuki.com

新作歌舞伎 FINAL FANTASY X 通称 FFX歌舞伎 を見てきました。

ゲームの歌舞伎化です。
場所はIHIステージアラウンド東京。通称ステアラ。
回る劇場です。(というと、やや語弊がありますが、どのように回るかについてはステアラのウェブサイトをごらんください。いつまで見られるか不明だが。)
今シーズンを最後に解体されるそうです。今シーズンっていつまでなのかな。FFX終わったらもう本当に終わり?
よくわからないけど、とりあえず、歌舞伎がこの劇場にかかることはもうないんだね。
チケットを取ったときはそんなこと知らなかったね。何か月も前だからな。

今回、最前列のやや下手しもて1の席でした。
すごい。ラストシーズンにしてやっと前で見られた。
この劇場は後ろしか当たらんものと思っていた。

1.あ、下手《しもて》は舞台に向かって左側です。右側が上手《かみて》。
みぎひだりだと、役者さん側から見た時と、客席側から見た時で違ってしまいますが、上手、下手は変わらない。
役者とお客が共通の言葉で方向を示せる。

ということで、最前列で見えたものとか書いておこうと思います。文字通り見えたもので、感想とかそんなないです。FFもないです。写真はちょっとあるよ。
筋についてはできる限り触れないようにしますが、ちょっとにじみ出るかもしれません。
少しも知りたくない、と言う人は、いまからこの下にどうでも良さそうなことを書きますのでその間に引き返してください。
以下、役者さんの敬称は基本略。(気分で、あったりなかったり。)

わたしの「歴」について

どんな背景の人がどう見たのか、が好物の人もいると思うので自分の「歴」を書いておきます。
(口上は要らんという人は次へ進め。)

FF歴

ゼロ。ですが、家族がこれでもかこれでもかとプレイしてましたので、なんとなく見てる。
そんでX-2が出たときの、だいぶ明るい"ユ・リ・パ"に、えっ?、結構思い詰めた感じだったのに続編こうなん?
ほわ? っと思ったですね。
その背景がそういうことだったのかー、というのを今回の歌舞伎で知った、というところです。
そんな1ミリくらいの知識です。

歌舞伎歴

劇場で見るようになってから25年くらい…ちょい…です。前世紀じゃねえか。
すごい前に思えるけど、今回のFFX歌舞伎の役者さんは多くはその頃もう舞台に上がっていて、うわぁってなる。
見始めた頃にはもう平成の三之助とかいって菊之助は大人気だったし(マジであのころはチケット取りづらかったです。)
松也くんも子役でいたもんな。こわい世界だ。
あ、贔屓は菊五郎です。(菊之助のお父さん。FFX歌舞伎では声の出演。)
好きな演目は文七元結です。
毎月は見ません。正月に2,3本と、5月の團菊祭と、あと巡業と、ほかに見たいのがあったらちょいちょい行く。

ステアラ歴

最初の頃に劇団☆新感線の舞台を2回見ました。席は後ろのほうでした。
今にもまして当時は劇場の周りに何もなく、わざわざ行く感が半端なかったです。枯野を横目に見ながらバス停に向かうような記憶があります。(ごめん、記憶の捏造かもしれん。)
今回のこれがなかったら、また来ることはなかったかもしれん。

新作歌舞伎歴

古いのは忘れました。というか、どれが新作か区別が付かない。新歌舞伎と、新作歌舞伎っていうのがあるんですよ。どう違うのかなあと思ってちょっと検索しましたら、境目は"終戦"らしいです。戦後は新作歌舞伎。
すると"彦市ばなし"なんかも新作なわけよな。あれ面白かったな。

ナウシカ初演はチケ取れず、BD買いました。2回目は歌舞伎座行った。
最近思い出せるヤツは、ワンピース、阿弖流為《アテルイ》、ナルト、月光露針路日本、GOEMON、陰陽師、マハーバーラタ、新選組。三国志もそうかな。
この中で好きなのは阿弖流為。新感線版も好きだった。染五郎(今は幸四郎)がいちばんカッコいいのはああいう役をやっているときだと思っている。(ごめん)
“スーパー"は見ていないというか、先代猿之助のに間に合わなかったというか。先代中村屋のにも足が向かず…あと、チケットが取れず、後追いで映像で見るに留まっている。

2.5歴

なし。歌舞伎を除くと。

普段はこのブログに歌舞伎のことは書いてません。ほかのところにこそっと書いている。
なんか、あまり自信をもって書けないところがあるんですよ。小学生みたいな細切れの感想書いて、楽しかったねーと思ってから、プロの劇評を読んでは、うはぁ、保ちゃん(固有名詞)から見るとそうかぁ。って、恥ずかしくなっちゃう。
しかし、今回は、こちらに書いておこうと思います。

では、本編。

最前列の話

座席配置

こけら落とし時の記事が、ステージの配置まであってわかりやすいですね

ステージナタリー:360°回転の新劇場、こけら落としは新感線「髑髏城の七人」1年3カ月ロングラン

ここらへんでした。

同一平面に役者がいる体験

普通、歌舞伎をやるような劇場だと、観客のいる平面よりも、だいぶ高いところに舞台の平面があります。
学校の体育館のステージもそうですよね。
最前列と舞台の間には人2,3人は通れる程度の空間もあります。
なので、最前列で見ると、ちょっと見上げる形になり、役者さんとの距離もまあまああります。
それよりは花道横が役者さんといちばん近いかもしれず、間近で衣裳など見られますが、やっぱ脚下から見上げることになります。
今回は高さが違う。段差は階段1段分くらいはあるのかな。でも同一平面上にいる感じがするんですよ。役者さんの目の位置が低い。
この立ってる地面が自分と同じなのは新鮮です。
しかも前列の通路が、客席から脚を伸ばしたらステージの柵に届きそうなくらいの幅なので、だいぶ近い。役者さんがときには前の柵のあたりまでやってきて芝居をする。これは小劇場の距離ですよね。
手すりを掴んでの芝居とかもあるんですよ。こんな目の前はなかなかない。たまにある(劇中で客席に降りた役者さんが狭い狭い席の間を通っていったりはするw)。
隣の席の人(見知らぬ人)は、有名人近くで見るの久しぶり、と言ってました。忘れていた感覚だ。確かに有名人だ。

かえりみすれば月かたぶきぬ

しかしながら至近すぎて、右と左で芝居されると、振り返らなければ見ることはできない。
スクリーンの半分に何か出ていて、それと連動して反対側で役者が芝居しているとかもツラい。
みんながTwitterで書いてるような"このとき○○は違う反応してる"、みたいなのがどうしても見えないの。
引きでみてぇぇぇ。でも近いのは嬉しい。でも引きで(葛藤)。
(この現象は普段でもあるっちゃぁ、ある。両花道で上手かみて下手しもてで会話とか。舞台上と花道とか、右見て左見てまた右を見て。でもこれほどの不便ではない)
まあ、困るのはステージの前の方で、舞台奥はかなり高くなっていて全体見えますので、そっちは問題ありません。
あと、後方席でもう一日見るから大丈夫なのさ。…大丈夫かな。それはそれでなあ。

スクリーンが把握不能

こちら、S席後方あたりまで下がって撮ったスクリーンです。
このくらいを使ってお芝居が行われるんだろう多分。

こちらが最前列、中央下手(しもて)からの景色です。

そして見えない半分は振り向いて見る、というね。


こんなデカいんで、スクリーンに映し出された地図なんかは、把握不能です。
あと左右の壁に何が出てるかは、視界の外なので全くわかりません。

あと舞台の絵的には、幕切れのときにステージ全体に綺麗に役者さんが並んでピタッと止まる見得をする、絵面の見得えめんのみえというのがあるんですが、これは引きで見たい。たまに、ほんとに絵みたいだなあって惚れ惚れするような舞台があるんですよ。今回もいいと思うんだなあ。前だとやっぱ絵には見えん。
あと…空中を使うやつ。超重要シーンあるやん。これも少し遠目の方がいいと思う。

これらを鑑みるに、この最前部はSS席ということになっておりますが、贔屓《ひいき》の役者1人を見たい。とにかく前で顔が見たい!金は出す!かぶりつき最高!映像は捨てる。という人のための席であろう。そういう人に最前列が当たったらラッキー、ということであろう。

雲海に沈む

スモークが直撃します。独特の匂いがしますね。
なお、しゅーって音が聞こえるので、あ、いまからスモーク出るなってわかります。
びっくりするけど、個人的には"まあ、いいか"くらいの影響。

まわりぐあい

いちばん外側の円周になるので、だいぶ回ってる感じがするのかな?と思ってたけど、そうでもない。私は気になりませんでした。
周りがあまり見えないので、目の前を歩く役者さんに目がついていくからかもしれないです。
あと、天井のライトが付いているときは天井を見ると、実世界の回り具合が把握できて地に足が付く気がします。
なお、自分、車には酔います。

お写真タイム

カーテンコールの写真撮影可の時間(1分ということになっている)、役者さん皆が客席降り(高さ的には降りではない、登り?)して後ろの通路に行ってしまうと、目の前のステージは閑散、後ろで何やってるか見えない。
淋しいから、残る人決めて順番にしてほしいです。

なかなか戻らないアーロンがあっちにいるんで、早く閉めてーとか言ってるシーモア老師
戻れたアーロン

前で見えるもの

こんな席で見ることは多分二度とないので見えたものについて書いておきます。
ちなみに歌舞伎座の最前列ですと、女性が手を鳴らして人を呼んだり、拍手したりするときに、舞い上がったおしろいがぱーっと煙のように拡散していく様子が見えたりします。小麦粉っぽい。(←庶民)
お姫様の打ち掛けから舞い上がった埃とかも見えます。だからなにって感じだけど最前列感はある。
今回も、召喚獣さんたちがブンブンしてる時に、チンダル現象(空気中で光の道が見えるやつです)が起こっていて、そこできらきらしているほこりに、おお、これが、召喚獣の毛のほこり…という意味わからん感動をしました。

アーロンの腕

アーロンの腕の筋肉のシャドウ…が見えます。描いてもらうのかな?

シーモアの短剣

衣裳が和風なので、短い刃物を抜いて刺しにいくと、まあ、絵的に短刀に見えますね。
だいたい、殺すときは長刀で斬るほうが多いんで、刺すというのは仇討ちでトドメ刺すとか、あるいはリアルな犯罪の香りがします。
しかし、これ、よく見ると片刃の短刀ではないのです。両刃で西洋風のつばの付いた短剣なの。
わざわざ洋風の短剣なので、ここはシェイクスピアあたりを想起させようというアレなのかなと思います…っていうか私がそれしか知らないだけなのだが、その視点で思い返せば、王位簒奪のための短剣なり自決のための短剣なり、ありますね。

ワッカVSシーモア

蹴鞠で対決しても良かったが違う話になるな。
前列ですと、実質は、両端にボールが付いてる棍棒遣いの黒衣とシーモアの戦いなのがよく見えます。そうすると、捕り手と、捕られる方のいつもの立ち回りに見えてくる。
おお、回してる回してる。うはは、歌舞伎やん。(歌舞伎ですが)
また、立ち回りをするときの足の運びが長い裾の下から見える、というようなのは、前のお客さんの頭がない席ならではかもしれません。前編の立ち回りではシーモアの裾捌きをずっと見てた。かっこええ。(←変態さんですか)。いや、ナマ脚じゃないですよ。地下足袋です。その運びがいいんだなー。
この衣裳と杖を支えて長丁場の立ち回りに耐える体力のためならちゃんと食ってがっしりしてくれておっけー、おっけー。

大蛇がたくさん出ます。皮(?)は、蛇踊りとか神楽みたいな質感じゃなくて、光沢のあるサテンみたいに見える生地です。※こんな短くはない。
その生地に、蛇柄がプリントされてるなーっていうのが見えました。大きい網目じゃなくて、細かい爬虫類柄。いや、見えないだろーこれはー。
(DAICON(アマチュア時代の庵野監督達の)作品のトクサツで破壊する街のミニチュアに雨樋とかつけたけど映像では全然見えなかった、って言うのを思い出しました。)
あとねー、しっぽは、てろんってならないの。円柱の形になってる。

地べたにいる人も見える

オオアカ屋さん、口上のために、扇子を前に置いて、地べたに正座してお辞儀しますが、中央あたりの席からはどのくらい見えるんですかね?ティーダもうずくまるようなシーンあるけど見えるのかな?
地面でなんかやってるけど後ろの席だと見えないみたいなの、小さい劇場だとあるんだけど、ここは傾斜あるから平気なのかな。
最前からはさすがに見える。そうか。最前列ってこういうのが隔たりなく見えるのかと思った次第。
口上の人が、下の地面にいるって落ち着かないです。"お手をお上げください"って、こういう気分かも。

以上、最前列の話でした。

劇場のそのほか

あ。そうそう。クッション。

座面と背もたれに一枚ずつ。
低反発じゃないですよね。押せば戻ってくる。ふわふわしている。薄い。あれの何が効いてるのだ???
なんか、ふわふわ効果よりも、座った時点で座席の高さと地面に付いた足との関係・角度がしっくり来て楽になる気がしました。足を組もうと思わない。
自分、結構反り返って座って、座骨付近をやられてしまうのですが、上体を起こして見ることができていた気がします。
けど、何が効いているのだ?

メシとアシ

会場でごはんにありつけるか不安だったので、銀座のデパ地下に開店直後に寄って2食買って持参しました。ほんとはコンビニでいいんだけどさ、なんとなく非日常感はほしい。自分で会場へ"お届け"すれば、天むすもお安く調達できるじゃないですか。なんなら東銀座の地下で歌舞伎座の弁当買っても余裕で間に合うな。
でバスで豊洲へ。バスは外国人観光客などで超満員。降りられるのか道中とても不安。ゆりかもめにするべきだったか…。だが新豊洲駅前でみんな降りるので全然大丈夫だった。心配いらねえ。

ごはんは席で幕間休憩時間にいただきました。(今回は席で食べていい歌舞伎方式)しかし、トイレとごはんを幕間まくあいで済ませるの厳しい。夜は小腹を満たす程度がよかろうと存じます。

なお、この日は開場前の時間からキッチンカー開いてました。皆さんテントの屋根の下で召し上がってました。
もうそんな寒い日はこの先あんまりないと思うけど、この日は10℃を切る寒さで雨降りだったので外は厳しかったと思う。自分も、待ち時間には"冗談じゃねえ、雨はまっぴらだぜ"って、同行者がいたら言うのになあって思ってた。だれかそれで笑ってくれよと。
前編後編の間の空き時間は豊洲のららぽに行きましたが賑わっていて座るとこ難民になるので、劇場近くの汐待茶寮に行くのが正解かもと思った。

売店

特典グッズ付きの席だったんですが、アクスタでよかった。雨の中ポスターは持ち帰り大変すぎる。
アクスタはアクリルの背景が付いてて、これがA5版です。A5ってのはDVDトールケースよりでかいのだぜ。

唯一買ったのがこれです。ヨーグルトベースのドリンク。MOON。なお、家にもって帰ったら綺麗に混ざってました。まあ、そうなるな。

 

この先の記事はちょっと長いっす。歌舞伎見物側の視点にて。

このお芝居自体について

ざっくりの受け止め

面白かったです。(5さいメンタル)
すんなり見られました。
古典は、なんでそういうことになるかな??と思いながら見ることもある。価値観が違うんですよ。
そこでその決断はしねえ。それは全然立派じゃないよ、そんな話ある??ってなる。でも昔だからしょうがないんだよね。
今回はそういう入り込めなさはない。この作品が、世界のことを理解していく過程そのものだからかな。
(あ、"お前なぜ殺す…"っていうのはあるけど、それはそいつがそういう奴なのでしょうがないな。誰とは言わんけどな。)
あと、ナウシカのときの6時間がみっしりとのしかかってくるような重い後味はなかったです。
考えたら同じような境遇の世界とも言えるじゃない。でも今回はあんまり深く解釈しなくていい。
それと、役者さんがよく、発散できる役とか、発散するところのない役とか仰いますけど、お客さんが発散できる演目かもしれんね。沢山拍手できるし。

ちょっと薄味ではある。(べつに濃い味が好きなわけではない)
ゲームの体験で補って全体のexperienceが完成するというところはあると思われる。
これは多分、超有名な話で多くの人は中味を知ってて見に来る忠臣蔵みたいなもんだろう。どこで何が起こるかみんな知っている。誰がどんなふるまいをするかも知っている。超有名な型がある感じだ。
それをあの役者さんがやる。どうなるんだろうって期待して見に来る。(そして1日お付き合いすることに)
松也が、先輩に習う代わりにゲームというお手本があると言っていたけど、初役は型どおりにつとめる。すると、誰それをリスペクトしてよくやっていると褒められる。多分、いまそういうところだ。

歌舞伎の雰囲気とか

まればなんでも拍手するあの感じが、他の種類の舞台だとなかなかないんですよ。商業演劇でも小劇場でも、すごいアクション決まったと思ったら手を叩きたいけど、やらない文化だからもの足りない。
でも、オオアカ屋さんが、前説でもっといろんな約束をしゃべってもいいところで、"見得みえをしたらツケの音がするから手を叩け”にフォーカスしたのはうまくいったなあ。それですごく客席が歌舞伎っぽくなった。アイスブレイクしながら客席を当事者にしていく。大事よな。

あと、なんだかんだ、日本で育ったら、歌舞伎って六方とか、見得とかやるものなんだ、ってふわっと知ってると思うんよね。そこで途中ちゃんと六方で出てくる。(あ、六方わからない人は歌舞伎 六方 で動画とか探していただけると。この辺とか。(NHK にほんごであそぼ から「六方」( 勘九郎の飛び六方)))
口上なんかもこういうの本当に歌舞伎でやるんだねって思った人いると思うんですよ。二度と見ないかもしれないけど。でも今日は歌舞伎見るんだっていう気分が上がるじゃない。
あれ、歌舞伎でそんな毎回ないです。ていうかほとんどないです。なにか改まったことをお知らせしたり、初めての土地にご挨拶したり、わざわざ古風なやり方でやる場合にしかない。たまに特別に歌舞伎見る人のほうが遭遇する率が高いんではないだろうか。
お芝居の途中で口上始まったりするのも、ちょっと当たりな気分になる。

みんな大好きオオアカ屋さん。ちびティーダが落としてしまった、ぬいティーダを拾いに走り、いそいで自分のポジションへ。

ちまたでは、後編の方が歌舞伎度が高いという感想をちょいちょい見かけたのですが、口語の歌舞伎もあるし、それなりの歌舞伎風味は感じるので、別に前編も歌舞伎じゃね?、ツケも見得もいっぱいあるし、突然踊るし…って見ていたんだけど、後編、急に義太夫(歌詞で状況を説明するやつ)が入って、全員それにノリ始めて、あ。これや。こういうのが歌舞伎だったわそう言えば、ふははは。って思い出すような感覚がありました。
あと、義太夫をかたる人(竹本)が唐突に出る感じも可笑しい。ああ確かになあ。急に出るもんなあ。
文楽や歌舞伎だと忍者屋敷のどんでん返しみたいに急に壁際の床が回ってクルッと出現します。

それから毛振りの大盤振る舞い。多い。俳優祭か。
まあ、これも一度は見たいやつだろうな。石橋ものの獅子は"獅子の精"であるから、これは"召喚獣の精"というところだろうか。
最初の方で出てくる"クリーチャー"と呼びたい風情のものに比べると、激しく歌舞伎化されており、お客も数時間でこれを受け入れられるよう訓練されたんだな。

ひとつ、あれ?と思ったこと。
大向こうでアーロンに「萬屋!」のかけ声がかかっていましたが、いいところで携帯電話が鳴るのと同じような、ふっと我に返る感覚が来て驚きました。
普段の歌舞伎は、誰それがなになにの役をやっているところを楽しむ、もあるので、現実半分芝居半分くらいのメンタル。かけ声で歌舞伎の世界から抜けるということはないです。
だが、今回のは、現実の役者の屋号をかけられたら場の魔法が解けちゃうのかもしれないな。
大向こうは欲しい。だからって役の屋号とか考えるとまた違う祭りになっちゃうしな。(でも屋号考えるのは楽しそうだ。)

かつらとか衣装とか

かつらがすんごいよね。グアドの方々のぐるんぐるんとか、
ナウシカの人々は、まだ現実の髪型に近かったじゃん。ナチュラルに下げ髪とか、歌舞伎になぞらえたりとか。
今度のはだいぶ物理法則に逆らってそうなのが立ち回りしているのもすごいし、特報映像に出ていた、できあがってきたときの状況も面白かったな。

音楽

FFX、ほぼ知らんながら、家族のゲームが先に進まない限りずーっと音楽は聴き続けることになるというアレがありまして、よく知ってる曲達だった。
でも、ああ、そういう意味の歌だったんだなあって今回わかったりしました。
和楽器であることについては、もはや和楽器が出てくることに対してセンサーが感知しない身になっているとわかった。そうか。これは和楽器か。

役と配役と

最近は感染症対策もあって、1日トータルではいろんな人が出るけど別々の演目というのが多かったんで、単純に、大きい演目での顔合わせというの自体も楽しいし、いろいろを越えてひとつのイメージに結実させるためのドリームチームという意味でも価値ある舞台と思いました。
一人だけがカッコいいじゃなくて、みんなカッコいいっていうのが、なかなかない良さ。(八犬伝とかあるにはあるけどね)

芝のぶユウナレスカ様。絵になる。

みんな合っている、だけ書いちゃうと、ニンとキャスティングの勝利〜で終わってしまうんで身も蓋もないんだけども、そこにハートを宿すのは役者さんの力で、今回周りで役に対する合わないの感想がほぼ聞かれないのは、いわゆるはらのほうも違和感なく落とし込んでいるということなのでしょう。この子はこういう役ってわかるもんね。

さすがに、女の人だと思ってましたーとかいうとウソになってしまうが(正体を知ってて見に来ているから)
女子sの声はどっから出てるのかわからん。私も芝のぶさんの声はじめてきいたときは、ぇぇぇ、女でしょ、って思ったよ。米吉ユウナは普通の女形のときとは違う当て方をしてるよなあ。研究したんだろうな。梅枝ルールーは影のあるところがよいよね。醸し出す雰囲気がある。でも、私はリュックくらいの女形具合が好きなのだ。
立ち役のほうでは、キマリにこの配役はすごいなと思った。ここ彦三郎なんだ。全然思いつかん。この生真面目さは成る程ヒコサブかもしれん。
それから、みんな書いてるけどアーロンとシーモアがとてもはまっているし、ずっと立ち回り見たい。
あと、自分の中ではシドが共感できる役でした。ああいう人は居る気がする。

菊之助はすごく菊五郎っぽくなってました。これはきっと皺まで見える最前列のせい。でも菊之助の声がするんだもんなー。遺伝子は神秘だ。
テレビの宣伝番組やYoutubeで見たときそんなふうに思わなかったんですけどね。
遠目より近くで見たときの方が似てるって可笑しい。逆に丑之助くんは映像で、うわ、播磨屋(吉右衛門さん)の血が濃い、と思ったが、実物はまだどう形成されるかわかんない感じ。台詞どうやって覚えたんだろう。やさしく置いてすぅっと消えていくようなしゃべり方も上手。

この先はざれごと

毎年年初に一本、何十年、ことによっては何百年とも上演が絶えていた脚本を発掘して練り直した復活狂言が国立劇場で上演されきました。
通しですっきり面白く、お正月に明るい気分で帰って貰おうっていうお芝居。
率いるのは菊五郎。

新聞の記事で、菊五郎がかつて先先代の松緑のもとでオリジナル作品の作り方に触れ、それが正月の復活狂言を作り続ける原点だと言ってました。
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/acts/sayonara-natl-theatre-onoe-kikugoro/
もうひとつ。こちらは有料記事なのですけど、先輩の言うような枠に縛られず「いらないところを切って、もっとおもしろい復活物をやりたい」という想いがあったことを語っています。
https://mainichi.jp/articles/20221205/dde/018/200/011000c

菊之助も同じだったのかなあ、なんて思ったりしました。
復活狂言は、元を誰もみたことがない。言わば原作をもとに新作を生み出す作業です。
それを毎年作り上げてきた一座のもとでこの芽が育つ、この花が咲く。国立劇場でその種は撒かれていたのかもと思うと面白い。
そしてちょっとずつ外濠を埋めて。
マハーバーラタ、いけるいける。
ナウシカ?すごいの選んだな。でも突破。
FF?ステアラ? いけんじゃね。ナウシカできたんだし。って。気がつけば、印度からスピラ、だいぶ遠いよ。
でもいちばんやりそうにない菊之助がこんなことやるからいいのかもね。
菊之助なら、方向を見失って古典に戻ってこないとかなさそうだし。

先に、いろいろを越えたドリームチームだと書きましたが、一方で、菊之助、彦三郎、梅枝、萬太郎…という座組に松也というピースがはまって、そこに少し先の菊五郎劇団の幻(夢?)も見てしまう自分がいます。
まあ、でも先のことはわからないんすよ。20年前に今の成田屋の状態とか想像つかないし、新作とかやりそうだった松緑じゃなくて菊之助がFFXを歌舞伎にしてるんだもん。
我々の浅知恵で何か考えたところで、現実はそれを越えてくるんや。
三十年後の楽しみがある沼、それが歌舞伎です。(そこまで自分が生きてればな)

FFX歌舞伎にしても、古典にしても
勧めすぎると引いちゃう人もいるかなあと思う。
ぐいぐい引っ張って水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない。
笛吹けど、いま踊りたくないひとは動かせない。
だから、なぜか足が向く、っていうそれぞれの方の気持ちを大事にしたい。
楽しい体験が溢れて、行くなら今だろってひとがたくさん出てきたならいいね。

蛇足
オヤジ(菊五郎)さんの顔が浮かんで今気づいたけど、今回の題材「なんとか死なねえ工夫はねえかなあ」って話なんだよなあ。
ダメだもう。変な絵浮かんできた。米吉の文七が川に身を投げそう。

Posted by kikuyamaru