ハルサーアイと方言(1)

2020年12月15日ハルサーエイカー,ローカルヒーロー

琉神マブヤーとハルサーエイカーを対象に、文字起こしから話し言葉を分析した3本の論文を読みました。
これについて、思ったことを書いていきます。


※このエントリーは原論文をお読みいただかないとわからないところがありますので、もし興味と手段のある方がいらしたらお読みいただければと思います。文中、論文(2010),論文(2011),論文(2012)のように示します。
高橋美奈子先生(高は、はしご高)の3本の論文を読みました。
■ 高橋美奈子(2010)「沖縄生まれの戦隊ヒーローの話しことばにみる性差–人気テレビ番組「琉神マブヤー」の文字化資料の分析より」
 (「ことば」 31号 2010-12 現代日本語研究会)
■ 高橋美奈子(2011)「ローカルヒーロー作品における女性登場人物の話しことば」
 (「ことば」 32号 2011-12 現代日本語研究会)
■ 高橋美奈子(2012)「なぜ方言を話すヒーローは女性なのか : 特撮ドラマ「ハルサーエイカー」の分析から」
 (「ことば」 33号 2012-12 現代日本語研究会)
※CiNiiのデータベースで、2012の論文だけ、人名の字が化けていて人では探せません。タイトルなどで探してください。
このエントリーでは、方言について書きます。女性的指標、男性的指標自体については触れません。
残念ながら、最新刊の場合発行日から3ヶ月以上たたないと複写ができず、
ハルサーエイカーに関する論文は持って帰れなかったのでその場で読みました。
前の二つの論文では、琉神マブヤーシリーズを検証して、
マブヤー(てぃーち)において、ヒーローは標準語。方言を話すのは年長者、脇役、悪役であることを示し(2010 高橋)
また、「マブヤー」「外伝」「マブヤー2」の3作において、女性においては、「方言形式の指標性は男性的指標形式と同様の機能を持ち、正常ではない異端性を示す、マイナスイメージを想起させるものであった」(2011 高橋)としています。
※2011年の論文は方言よりも、男性的指標、女性的指標に着目しているので
 (というか、実際、オバア以外の女性による方言使用シーンが少ないので)
 上記の部分がこの論文全体の要点ではないことを念のため書き添えます。
異端性を示す、というのは、いちゃりばちょーでーの回で、観光ガイドの女性が「いちゃいちゃさんけー!」と怒り出してしまう場面。
それから、美容師と客の喧嘩の場面で、女性が方言を使っているようなケースを指しています。
これらの分析は頷けます。
ただ、私は沖縄以外の地方に生まれ育ち暮らしていますので、沖縄のイントネーションであれば、沖縄方言をしゃべっているように聞こえてしまう。たとえばクレアが方言を使っていないようには聞こえないのです。
だから、女性は方言を使わないものだとして作られているとは実感しない。言われて初めて、あー、そういえばクレアが「やったー、ちゃんとこたえれ」と言うのは、普段と違うことを方言で示していたのか、と分かる。
それにマブヤーと言えば「たっぴらかす」で、もうそれだけで方言使っとるー、となります。「いったーむるしたたかたっぴらかす」だったら、もうわからん。そんなふうに、方言を使うヒーローの強い印象があります。
女性もヒーローも方言で話している。その印象をもってしまうことが、実際に沖縄で方言を話している方との違いだと思います。
そういうことが、作品を見た印象に影響しているんだろうと思うわけですが、
ハルサーにおいては、そのせいでもしかしてメッセージを受け取り損なっているのかなと思ったとこがあるので、後ほど書いていきます。
ハルサーエイカー。
アイちゃんは、正義の主人公でありながら、普段方言を話します。
先走って、論文(2012)の結論を言うと、(ここはメモったんだ。)
「結論として、「ハルサーエイカー」は「方言=脇役」といった偏ったイメージ形成は見られなかったものの、残念なことに役割語の使用パターンに一石を投じる番組とは認められなかった。女性として異性愛の対象にされていない女性、つまりギャルという特殊な役割を持つ女性が主人公であるがゆえに、方言を話すことが可能だったにすぎなかった。」(高橋 2012)
ここで「ギャル」というのは、ここ15年くらいの意味での「ギャル」だろうと思います。今のカワイイに命を賭ける子たちも広義でそれに入ります。(私はギャルというと、その言葉が使われ始めた時期1970〜80年代の20代くらいの一般女性のイメージを持つのですが、そういう意味ではないでしょう)
論文(2012)ではウィキペディアの表現を引いていて「ギャルという「ファッションやライフスタイルが突飛と見なされながらも、それらが同世代にある程度文化として共有されている若い女性」の役割を与えたのである。」(高橋 2012)としています。
論文(2012)が対象にしているのは、1stシーズンなので、2で、収がなにかを期待して着替えて出てきたり、カマーやリョウがジャンケンで看病役を取り合うような存在という要素は入っていません。
またセリフの文字起こしの上では、アイちゃんが、誰と目配せしたとかは入って来ませんので、そういうなんとなく伝わってくるものは入りません。
恋愛要素は、いつもぎりぎりを突っ走っていた1stのアイちゃんには入る余地がなかったし、結局2でもアイちゃんは手が届かない存在である。アイちゃんの取り合いは、アイちゃんが寝てる間にしか起こらない。
間違いなく女性で、あこがれでありながら恋愛の対象とならない異端の存在。
論文(2012)の言葉を借りると、ギャルだから?でしょうか。
アイちゃんは、クラブクイーンであるという想定があるので、ギャルみたいなもんであるとは言える。
ですが、その部分がそれほど描かれているとはいえません。
ほとんどが、つなぎやオーバーオールを着て、道なき道をゆき、野宿したり、ぼこぼこになったりしている状態で、普通の生活を捨てて旅しています。
カリスマに対するあこがれという図式は似ているのだけれど、竹子、花子から、でーじカッコいいと言われているのは、クラブクイーンのアイちゃんではなく、見えないものを見、聞こえないものを聞き、畑に対する姿に対してであって、同じ自然と関わるものとして1ランク上を行く姿がかっこよく見えたんじゃないかと思います。
これは多分、男から見ても目を見張るようなことだったのではないかと思いますが(というのは、幹也がクラストをまねしているところからうかがえる)、恋愛対象となるような次元を一歩超えちゃってるという気がします。
演じている萌子ちゃんに対して、共演者が言う、同じ星の人と思えない、というような神秘性、不思議感、見上げてしまう背の高さとあいまって、アイは普通とは相当違う存在になっています。
それに対して普通の人として接しているのは、収と佳苗の兄妹で、これは、以前、とんでもねー状態になる前からのつきあいがあるから、と、佳苗のゥワー仙人すら受容するおおらかさのたまものでしょう。論文(2012)に、アンマーベニーのセリフを受けて、アイが「肝っ玉母さん」であるという仮定がありますが、どっちかというと佳苗にぴったりな言葉です。佳苗も普段から方言を使います。親友として、アイとの釣り合いを考えたとき、同じように方言を使うのは当然と思われます。
アイちゃんは異端の存在なので女でも方言を使うことができるという図式なのだと思いますが、
(…さるとびエッちゃんというのを思い出しましたが)
主人公が方言を使うという点については、、マブヤーで、ヒーローが方言を使っても普通なんだ、という刷り込みができたので、それも可能になったのかなとも思います。
ちょっと逸れますが、マブヤーのスーツアクターを外伝からつとめ、沖縄での毎回のキャラクターショーでも中味をつとめ、カタカナのカナイを演じている翁長大輔さんがラジオで話していました。最初は「たっぴらかす?なにそれ?」という反応だったのが、4年もやっていると普通になってきて、最近は「おう、たっぴらかせ。」という感じだそう。
かっこいいマブヤーが(修辞でなくほんとにかっこいいですから)継続的にたっぴらかし続けることで、方言に対する「なにそれ?(笑)」という感じが変わってきたのだとしたら、これはプラスじゃないのかな。マブヤーについてはそんな面もあると思います。
で、方言を使う正義の味方が女性でなければならなかったか、ということですが、感覚的な話で申し訳ないが、もし男性であったら、ハルサーエイカー2に出てくる「ジョー」のような感じだったらすぐ想像できます。三段くらい突き抜けてるびっくり人間なので、もはやなに喋っててもかまわない。しかし、もっと普通の若者を、真っ向から、より方言混じりでというのは、マブヤー、ハルサーエイカーを経た今、かもしれませんね。
(つづく)