窓に映る自分

2020年12月15日ハルサーエイカー,ローカルヒーロー

「ジョハリの窓」というのがあります。
自分について自分が知っていること、知らないこと、
自分について他人が知っていること、知らないこと、
を掛け合わせると、4つの窓になる、というアレです。
自分も他人も知っている自分(開かれた窓)、自分しか知らない自分(隠された窓)、他人は知ってるけど自分にはわからない自分(見えない窓)、そして誰も知らない自分(Dark Window)。
ハルサーエイカーの5話で、ヘラカマアイの一行が、トンネルのあたりでリョウとすれ違うとき、カマーが「なんかさ、昔のオレみたいだ」と発言します。
その時点でのリョウは、強がって、誰ともつるまずに生きてる。
それは(たぶん、ヘラーは知ってるんだろうけど)、アイが知らないカマー。
カマー自身が昔の自分に似ているというのは、自分が変わって、そこから抜け出してきたことを自覚しているからだと思います。人に歴史あり、やね。(ひと?)
昔のオレでなく、抜け出せてないリアルなオレの場合は、多分そんな風には言えない。
カマーの場合、それはチリーではないか。
事態が面倒になって戦いが避けられない場面で、面白くなってきた、という反応をするのは、チリーとカマー。怒りのはけ口を戦いに求めるのも似ているし、お互いを挑発すればどうなるかよく知っている。
挙げ句の果てに、もの投げ合って、あの始末。
チリカマはやはり、原イメージが近いと思うのね。
ただ、チリーは空気を読まない。
本能で生きています。(塵埃集積物に本能があるかどうか疑問だが)
わりと I’m OK な人です。
カマーは、そうでもない。
本当は自信がないし、自分の存在価値を疑っている。(ハルみたいに)
しかしカマーは、自分の知らない自分を、ヘラーやアイから教えられます。
自分の中にいる孤独なリョウや好戦的なチリー(注:多分ドブーは、いないw)も認識しながら、よきひとたらんと努める、そういうところがカマーにはあります。そうやって、開かれた窓が広がることで、人は成長すると、まあ、言いますね。
チリーは、そんな成長はしないでしょう。
自らの怒りで動いていないチリーは精彩を欠く。ただのドブーの相方です。つまらん。そんなチリーはつまらん。
ハルサーエイカー2で、サマリタンたちは自分らでひとつの結論を出すわけだけど、チリーはちょっとしかつめらしいことを言います。「やーのためにたたかうのはやめたってことさ」
task を捨てて、本性と向き合うとき、"だったはずの自分"っていうのもきっと見える。
「我は我」いつでもそこに限りなく戻ってゆける彼ら。
ピーターパンのようだ…といったらおかしいでしょうか。
ピーターパンは過ぎたことを忘れてしまう。そして おとなになりません。
それは、カマーにとっては、なお、どこかの窓に残る自分の姿かもしれません。