隔世(黄金の日日な雑談)
朝の週イチ再放送が始まって半年に差し掛かろうとしています。
本棚を探したら、大河ドラマストーリーの本が出てきました。
(あ、そこに何が書いてあったかはここには特に書いてないです)
以前のBSでの再放送当時(昭和の最後か平成の初めころ)は古書店で探しても見つからなくて、代わりに峠の群像のストーリーやら、海と風と虹との帯付き本などを見つけて買ったりした覚えがあるので、この黄金ストーリー本は多分後年偶然見つけたときに買ったのでしょう。しかし中身を読んだ覚えがありません。
社畜状態の頃で開くことすらしなかったのかもしれない。
そんな日日を越え、本棚の奥から再び姿を現したこのお宝ですが、
色々あって視聴は3周目くらいながら、毎週のペースに合わせて改めて見ているので、先読みをすると興が冷めるのと、当初どのようになるはずだったかと、実際のドラマでどうなったかが違っていて、その当初の予定であるストーリーを読むのもまた雑念となるので、ストーリーとキャラクター紹介はすべて見終わるのを待って読むことにして、対談とか、ロケ記とか、関係者の寄稿とかを読んでいます。撮影はフィリピンロケから始まっていて、そのスチールがすでに本に載っています。しかし、フィリピンのシーンは、最初の方だけではなく、後のほうにも出てくるんですよね。それも最初に撮ってるから、途中で話が変わってもそこには繋げなきゃいけない。それを踏まえてみるのはちょっと面白いですね。
ちなみに、その本を探して歩いた30年ほど前の再放送の頃は、それなりに沼にハマりまして、本放送当時の歴史読本や便乗本を古書店であさり、知識を深めましたし、ポルトガル語の辞書を買ったり、原稿用紙に原田喜右衛門(これは今年の再放送にはまだ出ていない人物)の出てくるストーリーを書いてみたり、ステラにイラスト描いて送って載った覚えもあります。
この頃に得た、使い途に困る豆知識をひとつ披露しておくと、釜炒りは油、釜茹では水。(きゃー)
令和のいま、Twitterを眺めながらドラマを見てますと、当時の通説はもう古くさいものになっているのだなという事柄がぽつぽつ見受けられます。『当時はまだ「あさいながまさ」だったのか』とかね。
「あざい」呼びを広く知らしめたのは「江」じゃないかと思うんよね。これは十年前なんですね。真田、麒麟、直虎といったここ十年くらいの大河を観てきた人たちが、親世代の歴史観を見て戸惑ってるという様子が見て取れます。
あと、あの青い瓦は本当に安土の天守に使われたのか、とか。
待って。あの瓦が採用されないと助左、呂宋に行けないかもw
自分の知ってることと違ってる。けど面白い。
この折り合いをどうつけるか、ね。これは時代ものを楽しむときには常につきまとう問題です。
暴れん坊将軍が江戸市中に出るわけないって真顔で怒ってる人が世の中にはいたりしまして、それは普通は、娯楽時代劇なんだから真面目にとるなよ、で済ませられる。しかし同じ問題は大河ドラマにも常につきまとう。いかにも歴史ドラマのような顔をしているドラマにとって、それはよりシビアな問題となります。
そんな中に、黄金の日日は、「史実」ではなく、「記録がある」というスタンスなのが良いと書いてる人がいて、それはいい折り合いの付け方だなと思いました。
「と、信長公記は記している」なのであって、史実とは言ってないですからね。
一方で年代の前後組み替え等は黄金の日日でもあって
当時わかっていた記録とは明らかに違う時の流れをしてる部分もあります。物語のために、しれっとね。これはどう見ますかね。
これは、
「と、黄金の日日は描いている。」なのだと思ったらよいんではないか。
それならほんとの話ですからね。
それとねえ、少しやば目の惨劇シーンなどがあると、今なら地上波ではできない描写であるという意見も良く見かけます。
首、ポーーーンて飛んだりしてますけど、本当にいま規制で放送できないのってどの辺なんだろ。
ただ大事を取ってぬるめの表現になっているのか、本当に規制されていてだめなのか、知りたいですね。
おはなしのこと
現在22話の放送が終わっていますが、台詞の一言一句まで思い出せるとこがある一方で、全体的な印象は昔見たときと違うとこもあるんですよね。
今回1クール(13話)を終わったところの書き物を先にUpしましたが、すでに、種まきは終わった感がある。
日はもう傾き始めたんじゃないか、と気づくのは一周したからですね。
しかし助左はまだ1人の力で漕げる船の主にとどまっている。まだ何を守り、何に抗うかにも気付いていない。こんなに盛りだくさんエピソードが終わったのに、まだそこか。あと何売るんだっけ?その前になにに巻き込まれ…(笑。ご心配あれ。まだ巻き込まれるぜ。)
前の再放送の時はね、モニカ様も連れてもう一回ルソンに行くんだって思ってましたね。
これは、人への手紙にそう書いたから覚えてる。
子どもの頃に一度見ただけだから、なんか、そんな幻想も持ってました。
今回はどうなるかちゃんと知ってた。それも悲しい。
そして、えっ善住坊のアレって21話?えっ?そんなとこだっけ。もっと後半だと思ってた。
これはTwitterでも、複数の人がもっと後半だと思ってたって書いてて面白かったですね。なんでそう思ったのかな。途中の記憶は飛んだんだろかw。
あともうひとつ、美緒と助左ね。
昔は疑いもなくこの2人は惚れ合ってるんだと思ってた。
今見ると、なんでそう思ったんだっけか?って思うくらい遠い。まあまあいい感じだったのって珊瑚珠の所くらいなんですよ。美緒さんは「あの助左」の名前にはすごく反応するし、好きなんだろうし、あの男は自分のことが好きなはずという自惚れもおそらく持っている。けれども、好きなのと正しく理解できてるかって別なのよな。こんなちぐはぐでいいのか、主人公とヒロイン(笑)。
美緒の考える、このくらいで籠絡できるはず、な策に対して、そこで崩れて踏み外してくれる助左ではないのねん。その岩盤の硬さたるや。まあ、こうでなきゃ助左じゃないけどな。
あ、印象変わんないとこもあります。
助左、やっぱり商才ないわ。うん。
ここまでは、ほぼ、運と人柄。
もうちょっと言うと、信じられないくらいの強運と、唯一無二の人柄。
いやあ、改めて見ると、本当によく生きてたなー。
その調子でもうちょっと生きてね。
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